第一話~第三十話/第三十一話~


 
opens on a new page

 


 
2019年3月12日(火)
    8年目の    0.051μSv/h   



 昨日は8年目の3・11だった
 深夜、東日本大震災の特別番組を見ていた。
 
 それで急にブログを書きたいと思った。

 前のブログは2年前の10月で終わっている。現在の新居に引っ越しで終わっている。

 震災の記憶はいつまで自分にまといつくのだろう。
 最近、その思いが強くなったように思う。

 忘れようとしていたことが、ふうっと思い出され、自分の心を打つ。痛みを伴って…

 今日は朝から風雨が強かった。
 昼過ぎに風雨も上がって、2時半頃に家を出た。堤防まではわずか5分だ。
 連れ合いと行ってみたら、たくさんの人が堤防の上にいた、慰霊のために…

 2時46分…サイレンが鳴った。
 みんなで手を合わせた。

 久之浜で亡くなった63名の方々を偲んで…

 時々思う…どうして海が近い久之浜に、故郷といえども戻って来てしまったのだろう、どうして東京の仕事を捨ててしまったのだろうと…

 時々思う…
 
 
 
 
2017年10月23日(月)
    引っ越し    0.031μSv/h   



 22日、引っ越した。
 
 台風が近づいてくる!

 その真っ最中。大変だ!

 2年半前の2015年2月、故郷の久之浜町からいわき市内の植田町に引っ越した。

 久之浜が津波被害にあったので盛土のために家が取り壊されることになったのだ。

 久之浜はいわき市の北端、1F(福島第1原子力発電所)から30㎞。

 植田町はいわき市の南端、茨城県のそばだ。

 築40年以上の家を借りたのだが、楽しく暮らせた。

 でも、やはり知り合いが多い故郷・久之浜町に帰りたかった。

 僕らは家の中で引っ越しを見守るばかりだが、業者のお兄ちゃんたちは大変だ。

 家具はないのだが本が多い、半端ないほど多い。

 しかも大雨。

 でも、無事に完了。

 今、夜中。段ボール箱に埋もれて書いている。

 今週は片付けに追われるな。

 上記の1時間の放射線量は新居の2階で測った数値です。
 
 
 
2017年10月17日(火)
 オペラと歌舞伎 その1    0.063μSv/h   



 日曜と月曜、連れ合いと一緒に東京に行ってきた。

 日曜は夜にオペラ「ミスター・シンデレラ」の鑑賞。

 これは2001年に僕が台本を担当した鹿児島オペラ協会の作品だ。

 おおもとはグランドオペラで、オーケストラの編成も60名くらいだが、今回は11名。

 劇場も大劇場ではなく、新国立劇場の小ホールだ。

 日本オペラ協会の主催で室内オペラシリーズの第1回目だ。

 日本オペラ協会の総監督に新しく就任した郡愛子さんが最初の作品として選んでくださった。

 「日本オペラの新しい方向性を感じさせてくれる」とパンフレットに書いていただいた。

 初演から16年間に5回の公演、今回が5回目である。

 しかし、11名のオケとは言え、オケボックスも仮設してある。

 客席数は少なくて350名らしい。

 装置衣裳、キャストやスタッフのギャラ…他人事ながら心配になった。

 この室内オペラシリーズの地方都市公演があればいいのだが…

 そんな心配をしながら舞台を観た。

 腹を抱えて笑い、ちょっと感傷的になり、感動した。

 どんどん良くなる法華の太鼓とはよく云ったもんだ…いや、言っていたのは40年も前か。

 この作品は上演を重ねるたびに面白くなる。

 終演後のカーテンコールで舞台に上がった。

 懐かしい顔ぶれが笑顔で迎えてくれた。

 オペラを書き始めてからカーテンコールを経験するようになったが、こんなに長いカーテンコールは初めてだった。

 連れ合いとホテル近くの炉端焼き屋で会食。

 パクチーいっぱいのサラダを初めて食べた。

 連れ合いは苦手のようだが、僕は美味しいとワフワフ食べた。

 明日は歌舞伎。22日が引っ越しなのにこんなことしてて大丈夫かなあ。
 
   
2017年9月26日(火)
 大漁だ!大漁だ!    0.062μSv/h   



 昨日の夕方と今朝の早朝、海釣りに行ってきた。

 ひょいと県境を跨いで茨城県の大津港へ。

 久之浜港、小名浜港と今まで竿を出して来たが、あまり釣果が上がらない。

 しかし、思い切って北茨城市に向かった。思い切ってと言っても、家から車で20分ほどだ。

 小名浜港に行くのとあまり変わらない。

 車で行くということは連れ合いも一緒だ。最近、釣りの楽しさを覚えたのか、誘うとウキウキしてのってくる。

 で、昨日はにわか雨に降られたが、小さめのサバを20匹、ゲット!

 青イソメではなく、オキアミを使うから連れ合いもこっちの方が楽しいらしい。

 ちなみに、連れ合いは青イソメを「ニョロニョロ」と言っている。

 ま、簡単に言うと海のミミズかな?

 港のふ頭からオキアミを詰めたカゴを海中に下す。

 カゴの上のテグスには、オキアミに似せた小さい針がたくさんついている。

 カゴを振ると、オキアミが海中を漂って、アジやサバが寄って切る。そこを釣る。

 本当はサバではなく、アジを釣りたい!アジ!アジ!アジ!

 で、今朝はどうなったかというと、入れ食いでした!

 で、サバが36匹!

 サバのフライは食べ飽きました。

 冷凍庫はサバいたサバで満杯です。
 
 
 
   
 
2017年9月20日(水)
 「愛と死を抱きしめて」 その2    0.062μSv/h   



 東京公演の話をしよう。

 9月2・3日、新宿の全労済ホール/スペース・ゼロで行われた。

 客席数は、両端がデッドスペースになっているため、だいぶ潰した。そこは舞台が見ずらいから客を入れないようにしたのだ。

 だから、180席くらいだろうか。

 3回公演で360名のお客さんが来てくれた。

 しかも、回収されたアンケートが130枚!

 プロの公演でも回収率は5パーセントくらいだろう。

 客演した青年座の役者Tさんが驚いていた。

 今回は青年座の座員もたくさん来てくれた。いわきに転居して3年半。劇団に顔を出さなくなったのに…

 僕のことを覚えていてくれた…

 感謝感激です!

 明治大学時代の演劇サークル「実験劇場」の先輩同期にも久しぶりに会うことができた。

 そうそう、久之浜中学校の同級生も来て、まるで同級会をしているみたいだった。

 アンケートを紹介する。

 「避難中です。東京に住むことに決めましたが、心はゆれています。8人家族です。複雑な気持ちです。東京でももっとアピールすべきだと思います」

 「福島の人々の心の叫びを聞いた思いです。亡くなった方、現在も苦しんでいる方々の事を日本のだれもが知る必要があると思いました」(石岡市・50代)

 
   
2017年9月13日(水)
 「愛と死を抱きしめて」 その1    0.062μSv/h   



 前回のブログが4月、5か月も前。

 しかも、「愛と死を抱きしめて」の東京公演も終わってる!

 どうしたんだ、俺!

 忙しかったとか? 書きたくなかったとか?

 などと自問してもなぜなのかわからない。

 5か月の間、「愛と死」の稽古をいわきでしながら、6月からはオペラの稽古のため東京に通っていた。

 7月7日は僕が書き演出したオペラ「ひかりのゆりかご」の公演。

 8月中旬には脚色した山本周五郎・原作「かあちゃん」公演。

 これは津嘉山正種さんの演出で、青年座のスタジオで公演された。

 そして、8月26・27日「愛と死」のいわき公演。9月2・3日は東京公演。

 こうして振り返ると、あまりにも大変で、書く気力がなかったのか?

 そういえば、ふと気が付くと虫の声。秋になっていた。

 余裕もできたし、ブログを再開したいと思います。
 
 
 
   
2017年4月14日(金)
 「愛と死を抱きしめて」     0.065μSv/h   



 僕が作演出する「愛と死を抱きしめて」の再演日が決まった。

 今年の8月26・27日(土・日曜)にいわきPITで、東京公演が9月2・3日新宿の全労済ホール/スペース・ゼロである。

 現在は稽古中である。

 それにしてもブログを相当さぼってしまった。

 しかも書くときが、前回書き入れたのはインフルエンザの時、今回は風邪っぴきの時。

 体調が悪い時にしか書かないのかい!

 と突っ込んでみた。

 でも、結構忙しかったのです。

 1月から「愛と死を抱きしめて」の書き直し、3月から山本周五郎原作「かあちゃん」の脚色。

 「かあちゃん」は8月半ばに劇団青年座のスタジオ公演として上演される。

 「愛と死を抱きしめて」は5月に発売される演劇総合誌テアトロに掲載される。

 僕のエッセイのような文章も載る。

 興味のある方はぜひご一読を。
 
 
 
   
2017年2月3日(金)
 インフルエンザ     0.065μSv/h   



 1日の朝、昨日から調子の悪かった連れ合いと僕が体温を計ったら…連れ合いも僕も37度を超えていた。

 風邪だ!すわお医者様へ!

 立ち上がった僕、これぐらいじゃまだまだと連れ合い。

 ところが、連れ合いの体温が38度を超えた!

 病人2人、慌てて車に乗り込み、38度超えの運転で医者へ。

 これはやばいと思っているから、そこら辺の開業医にはいかず、近くの信頼できる大病院へ。

 なぜかそれだけ深刻な感じがしたのです。

 でも、病院の駐車場前は入れない車が数珠繋ぎ。

 さすがは信頼できる大病院、来る人も多い!と感心してる場合かい!

 30分かかって駐車…ここからもう嫌な予感がした。

 受付で問診表に風邪の症状を書き込み、体温計を渡すと事務員が慌てて来た。

 それからは受付から離れた3畳ほどの待合室に隔離。

 まずインフルエンザの検査をするということらしい。

 やりました、よくニュースで見る長~い綿棒のようなものを鼻の穴に突っ込むやつ。

 初めてなので体がこわばった。意外と痛い!

 結果は連れ合いが陽性、僕が陰性。

 で、喜んだら先生に言われた。「一緒に住んでいて潜伏してないわけがないでしょ。人に会ってはダメ。タミフルもちゃんと飲んで」

 こういわれたのが病院に来て3時間後。つまり診察は3時間後隔離室で1分だけ。

 先生はそそくさと逃げるように部屋を出て行った。

 まるで僕らはインフルの病原体になったよう…

 その後、隔離室で薬をもらい、お会計をして帰宅した。

 これで4日のいわきPITの仕事も、6・7日の東京行きもオジャン。

 6日は観劇後に出演者と飲む約束、7日は入院中の友人のお見舞いだった。

 出演中の役者と入院中の病人にうつしたら大ごとだものね。

 今は全てキャンセルして、皆に謝って、お家で息を潜めています。
 
 
 
   
2017年1月22日(金)
 映画「沈黙ーサイレンスー」     0.065μSv/h   



 TVで遠藤周作の小説「沈黙」を映画化したことを知った。

 監督は巨匠マーティン・スコセッシだ。

 土曜の朝、ふと思い立った、観に行こう!

 観に行くといっても電車で数駅というわけにはいかない。

 高速を飛ばすこと1時間半、ひたちなかのシネマズに行った。

 2時間半近い大作だが、主人公と同化して自分も追い詰められたような時間だった。

 物語には触れない。

 ただ残念なのは、封切りなのに観客が少ない。また、高齢者が多い。

 文芸物は好かれないのか、アニメやハリウッド大作がいいのか。

 ぜひ多くの方々に観てもらいたい作品だった。
 
 
 
   
2017年1月20日(金)
 「銀河鉄道の夜」公演     0.065μSv/h   



 14・15日と音楽童話「銀河鉄道の夜」の公演が行われた。

 いやぁきついっす…12日朝9時から照明と舞台仕込み。

 13日夜7時から止めながらの舞台稽古。

 14日10時から歌稽古、2時から舞台稽古。18時半から公演。

 15日10時から舞台稽古。13時半から公演。

 1回目の観客数は140名、2回目は180名。

 2回目はほとんど満員、というか若干こぼれてしまった感じ。

 こんなに入るとは思わなかったので、チケットを扱う製作陣は大変でした。

 2年前の音楽劇「あらしのよるに」にくらべて、音楽劇というジャンルが少しずつ認知されてきたのかも。

 出演者も歌や演技には素人同然。それでも声楽指導・指揮のS先生の叱咤激励に応えて結構進歩した。

 終演後、いわきPITのホワイエで打ち上げ。

 東京から駆けつけてくれた俳優諸氏、PITのスタッフ、音楽劇のスタッフ、それに出演者、ピアニストS嬢、チェリストYさん、クラリネット奏者Yさんも交えて大騒ぎだった。

 それだけ楽しい公演だったのだと思う。

 今後も続けたいが、もっと出演者を増やしたいなあ。

 
 
 
   
2017年1月11日(水)
 「愛と死を抱きしめて」&音楽劇     0.065μSv/h   



 昨夜、「愛と死を抱きしめて」の再演に出演される方が集まった。

 再演は8月26・27日がいわきPITで、9月2・3日が新宿の全労済ホール スペース・ゼロで行われる。

 新しく出演したい方も集まってもらったが、若い人が多かったのには驚いた。

 前作よりももっと面白いことができそうだと、内心ニンマリ。

 でも、そのためには台本を書き直さなければならない。

 でも、きっと楽しいだろうなぁ…

 音楽童話「銀河鉄道の夜」の公演も今週末に迫った。

 出演者数は14名。演劇経験アリ合唱経験ナシの人が4名、演劇経験ナシ合唱経験アリの人が2名。

 あとの方々は何も経験ナシ。

 それでも頑張っている。

 6日の稽古にはクラリネット奏者とチェロ奏者を入れて練習した。

 ピアノ伴奏での歌唱よりずっと音楽に深みが出る。

 声もオーケストラの一部であることがわかってくる。

 12日からは照明と音響も入ってくる。

 舞台が立ち上がった時、音楽劇がどんなに楽しいか、出演者にもお客様にもわかってもらえると思う。
 
 
 
   
2017年1月4日(水)
 「下町ロケット」     0.065μSv/h   



 2日・3日と音楽童話「銀河鉄道の夜」の仕事をしながらテレビを見た。

 朝方、ふと音楽劇の最後の場面が気になって、布団の中で黙考していたが、気づいたことがあって起きた。

 最後をどうやって閉めるか…台本のままではつまんないと思っていた所の絵ができた。

 いや、絵を描いたと言うべきか。

 で、テレビドラマ「下町ロケット」のディレクターズカット版を見た。

 宇宙ロケット製作にかかわっていた主人公の技術者が、ロケット打ち上げの失敗によって挫折し、現在は下町の従業員200人ほどの製作所の経営者になっている。

 彼はその失敗が許せず、仕事の合間にロケットエンジンの燃料制御バルブを発明、特許を取っていた。

 一方、巨大企業も国産ロケットを飛ばそうと社運をかけていた。

 その巨大企業と町工場が制御バルブを巡って騒動を繰り広げるという内容だ。

 巨大企業は様々な手を使って制御バルブを手に入れようとする。
 弁護士やエリート会社員がすご~く嫌な奴に描かれる。そいつらに町工場の経営者と従業員が虐められる、サンドバッグのように殴られると言うべきか。

 だが、殴られながらも彼らは反撃を開始して、最後には勝利する。
 悪役が嫌な奴で権力を振りかざせばかざすほどいい、そいつが最後にはこてんぱにやっつけられるのがいい!すかっとする!

 でも、これって勧善懲悪だよなあ、ちょっと構図がテレビの時代劇っぽいよなあ…その現代版だよなぁ・・・と思っても見てしまう。

 しかも、ディレクターズカット版だから詳細は抜きにしてサクサク進む。

 だから劇的なところが多い。

 いつも巨悪と戦っているか、涙ながらに熱い思いを口走っているか、どっちかだ。

 濃すぎて、熱すぎて…でも、面白い!でも、疲れた!

 8時間も見てしまった…自己嫌悪…
 
 
 
 
   
 
2017年1月2日(月)
 あけおめ!     0.053μSv/h   



 穏やかな元日だった。

 いわき市の北の果て久之浜町から南の果て植田町に転居してもうすぐ2年になる。

 2回目の正月だ。

 昨年は初詣に行かなかった。自分の町ではない、そんな気がしたのだ。

 でも今年は…ツタヤにDVDを返しに行った時、のんびりした町の雰囲気…誰もいない、日もうららか…に誘われた。

 で、ググってみた。「植田町 神社 初詣」

 で、出たのが植田八幡神社。で、連れ合いと初詣にしゃれ込んだ。

 植田駅の背後に小高い丘がある。そこに神社はあった。

 石段を上ること78段、石がすり減っているから相当古い神社なのだろう。

 初詣の人たちが登り下りしている。

 登りきると、萱で造った大きな円があった。

 萱の輪だ。そこをくぐって拝殿に向かう。

 参拝して清々しくなった…不思議だね、ニホンジン…

 おみくじを引こうとしたが、連れ合いが怖いというのでやめた。

 それもそうだ、大凶なんて引いたら嫌な気分になる。

 甘酒をいただいたあと、境内から町を望む。

 駅の向こうに広がる町、その向こうに立つ工場や火力発電所の煙突。その向こうは海だ、キラキラ光っている。

 今年の7月にはこの町を離れる、久之浜町に戻る。

 早く故郷の町に帰りたいという気持ちと、植田町もいいなあ、と思う気持ちと複雑だ。

 今年は様々に変化の年になるような気がする。
 
 
   
 
2016年12月29日(木)
 もう師走?     0.049μSv/h   



 先のブログからあっという間に1か月がたってしまった。

 その間、何をしていたかというとあまり覚えがない。

 とにかく、4本抱えた仕事を何とか書いて終わらせるのみ。

 4本とは、毎月いわき民報に掲載される「演劇時評」、来年公演されるオペラ「ひかりのゆりかご~熊になった男」の再再演のための改訂版をつくること。

 再演と言えば2015年にいわきPITで上演した「愛と死を抱きしめて」(作演出)も書き改めねばならない。

 新しい俳優さんが出るので、さらにボリュームアップ、良くするつもりだ。

 俳優Tさんから依頼されている小説の脚色も始めなければならない。

 これで4本。

 いわき民報の「演劇時評」の12月分は終了。

オペラ「ひかりのゆりかご~熊になった男」改訂版も2日前に終わった。

 あと2本!

 1月になったら「演劇時評」の1月分も書くから、合わせ技で3本!
って、柔道じゃないから。

 でも、その前に音楽童話「銀河鉄道の夜」の公演が1月13・14日に迫っている。

 今回は連れ合いも合唱で出演する。僕のipadに入ってる演奏に合わせて毎日黄色い声を張り上げ、練習している。

 と同時に、烏瓜の提灯などの小道具も作っている。

 昨年の8月末から10月にかけては体調を崩した、糖尿病の一歩手前まで行った。

 食事療法でなんとかしのいだが、食事療法はまだ続いている。

 カロリー表を見ると、恐ろしくて外食できない。

 かつ丼大好き男だったが、もう食べられない…トホホ。

 今年は9月10月と頻繁に風邪をひいた。1週間ほど寝込んだこともあった。

 まったく、秋は鬼門だ。

 とにかく、今日から年末年始のお休みだ。

 で、なにをやるかというと、何も思いつかないから、やっぱり読書と再演戯曲の検討で終わるんだろうなぁ~

 皆さま、良いお年をお迎えください。

 
 
   
 
2016年11月29日(火)
 懐かしい顔     0.048μSv/h   



 26日の土曜日、いわきまで懐かしい面々が訪ねてきた。

 青年座研究所の卒業生N君、A君、I君がわざわざ芝居を観に来てくれたのだ。

 でも、僕のではなくて他のアマチュア劇団の合同公演だ。

 8年前の平成20年、僕の演出でいわき演劇の会主催公演「明日~1945年8月8日長崎」が上演された。

 当時、卒業したばかりの彼らといわきの演劇人とで座組を構成した。

 そのつながりで、いわきから東京まで芝居を観に行ったり観に来たりと、交流が続いていたのだ。

 終演後、近くの飲み屋で大交流会。15名が集まった。

 8年という歳月は人生を変える。様々な人生模様が聞かれた。

 とにかく、久しぶりに楽しい飲み会だった。

 27日は東京から来た彼らを福島第1原発の近くまで案内した。

 放射能測定器の警告音を聞きながら、国道6号を北上。

 廃屋や廃車がある立ち入り禁止区域を柵の外から見た。

 そして、事故に至る経過と当時の避難、現在の状況を説明した。

 彼らは東京に暮らす人たちのなかでも事故に関する意識が高い。

 それでも、知らないことが多いのだから、他の人たちは福島のことをどれだけ知っているのだろう。

 原発は大企業が造った。そして、事故の終息にもその企業がかかわっている。

 事故終息のための費用は税金から出されている。

 テレビの東京オリンピック番組で、施設の建築費が1兆になった、2兆になった、3兆になったと騒いでいる。

 どの大企業がその建設に携わり、だれがその建築費を出すのか。東京都民と国民だ。

 18年前の長野オリンピックの負債を長野県の各都市は、最近やっと返済したという。

 今度の東京オリンピックの負債を我々は何年に渡って返さなければならないのか。

 これを推進する政治家と、彼につながる大企業はどこなのか。

 そこまではTV番組も言わないだろうなぁ。言ったら大けがするもんね。
 
 
   
 
2016年11月17日(木)
 新そば祭り     0.048μSv/h   



 日曜に会津地方まで出かけて「新そば祭」を堪能してきた。

 10月から11月にかけて福島県のあちこちで新蕎麦の収穫祭が行われる。

 僕も連れ合いと一緒に先日、車を飛ばして紅葉の会津路を一目散に「新そば祭」の行われる町へ。

 前売り券を事前に購入。1人分、2千円。

 これで新蕎麦食べ放題、地酒飲み放題、しかも天ぷら付き。

 安い!と思っちゃった。

 で、前売り券が100番前後だから、こりゃあ大勢集まるんだと警戒した。

 その田舎町はこじんまりとして生活しやすそうな町だった。

 ネットで調べていた有名な酒屋さん、そこは貴重な地酒を扱っている。そのお店に直行。

 僕も連れ合いも日本酒は得意ではない。ないが、美味いものはわかる…かな?

 そこでH酒蔵の「飛露喜」を買いたかったのだが、それはすでにない。

 かわりにその酒蔵から出来立ての「泉川」を購入。

 飲みもしないものをどうして買うのか。それは大の日本酒好きが友人にいるからだ。

 彼との飲み会に驚かせてやろうと思う。

 新そば祭の会場に1時間半前に到着。

 空き地の駐車場は満杯だ。

 会場は舞台付きの講堂のようなところ。始まるまでまだ1時間半もある。しかも、会津は相当寒い。

 と、思っていたら、連れ合いが目ざとく隣の立ち寄り湯を見つけた。

 入ろうというが、僕は湯冷めして風邪をひきそうなので断る。

 連れ合いは嬉々として立ち寄り湯へ。僕はそこのロビーで待つ。

 で、新そば祭です。講堂にはずらずらと机が並べられて番号札が列につけてある。

 その番号札をみても凄い人数だ、5百人くらいはいるんじゃないのか。

 自分の番号を見つけて着席。セルフサービスだからすぐに蕎麦を取りに行く。

 講堂の後ろに、蕎麦、天ぷら、飲み物を提供するブースがあるのだ。

 そこで蕎麦と2種類のつけ汁、日本酒、天ぷらをもらって席に戻る。

 う~ん、う~ん、新蕎麦は香りがいいというが…あまりにも人が多いせいか、僕の鼻が悪いのか香りがしない。

 いや、かげない。

 結局、ザル3枚をたいらげ、地酒を紙コップ1杯飲んで退散した。

 やっぱり慌ただしい食事は駄目だ。美味しく感じるためには雰囲気も大事なんですよ。

 そう気付いた…早く気づけよ、おれ!

 それでも会津路の紅葉は最高だった。

 
 
   
 
2016年11月11日(金)
 ACMファミリーシアター     0.056μSv/h   



 先日、車を飛ばして水戸まで行ってきた。

 一つは叔父叔母さんにプレゼントを買うこと。もう一つはカルディでコーヒーと紅茶を買うこと。

 いわきには最近スタバが1軒できたが、カルディもなければ、デパートもない。

 そこで水戸に行くついでにデパートで買い物をすることになったのだ。

 本当の目的は水戸芸術館でACMファミリーシアター公演「ルドルフとイッパイアッテナ」を観劇すること。

 ええっ、子供向けの芝居だろうと侮ることなかれ、内容は子供向けだが、大人が見てもなかなか面白い。

 これはアニメの映画にもなったからご存じだろう。

 原作絵本は斉藤洋さんが描いた児童文学の名作だ。

 脚本・詩を芸術監督の高橋知伽江さんが書き、水戸芸術館ACM
劇場に所属する役者さんが歌い踊り、演じた。

 この役者さんたちが芸達者だから観ていて楽しい。

 大人の僕まで大笑いするくらいだから、小学生中学年と思われる子供たちには大うけだ。

 客席は子供で満杯。大人は僕も含め3名、2階席で観た。平日の午後だから学校の授業として演劇鑑賞があるのだろう。

 バスで来たらしく、添乗員のような方と先生が引率していた。

 この子供向けの芝居は水戸芸術館が企画して制作したものだ。

 水戸芸術館内で芝居を創るということは、スタッフもキャストも自前の方々だから大変だ。相当な労力がいる。

 反対に創ってある芝居を買って、劇場で上演するだけの制作者もいる。

 そして、水戸芸術館が創った芝居を地元の企業が応援している、水戸市も応援している。

 その芝居を市内の子供たちが観る。

 素晴らしい事業であり、素晴らしい授業だ。
 
 
 
   
2016年11月9日(水)
 びっくり×2     0.056μSv/h   



 ところが朝…。

 寝ていたら頭上でトントントントン音がする。

 後ろの家が新築だからまだ工事しているのか。でも、こんな早朝から…。

 と、不思議に思った。リアンは障子の破け目から顔を差し入れ、盛んに庭の方を見ている。

 昨年は2階の雨戸入れに鳥が巣を作ったから、またそれかもしれない。

 それにしても1時間以上続いている。

 さすがに気になったのか、連れ合いが起き出して隣室に行き、窓を開けて庭を確かめた。

 慌てて戻った連れ合いが言うことには、あのハチの巣の上に鳥が止まって突っついている!

 飛び起きて隣室に行き、そっと窓から覗いた。

 いるいる…1羽の小鳥が盛んに突っついている。

 頭に黒いベレー帽の模様があるからジジュウカラかもしれない。

 しめしめこれで巣を壊さなくてもすむ…などと思いながら小鳥の解体屋に任せることにした。

 午後、庭に出てみると、直径30㎝ほどの巣は4分の1ほどが欠けて、まるでスターウォーズの壊れたデススターのようになっていた。

 で、昨日、寝室の窓を叩く音がする。

 障子を開けてみると、連れ合いが笑いながら庭に立っている。

 その手にはごみ袋が握られ、壊れたハチの巣が入っている。

 なんでも、破壊するときにキイロスズメバチが2匹落ちてきたが、息も絶え絶えで飛べなかったという。

 それを踏みつぶしてやったと笑う。

 ま、我が家の危機は小鳥と連れ合いに救われました。
 
 
 
   
 
2016年11月7日(月)
 びっくり×2     0.056μSv/h   



 先日、連れ合いが血相を変えて走ってきた。

 僕を外に連れ出すと、一階和室の庇を指さす。

 庇の上はバルコニーだ。40年も前の建築だからバルコニーでも崩れ始めたかと思ったが、庇の下を見てびっくり!

 庇の下に直径30センチはあろうかと思われるハチの巣が張り付いている!

 庇の下は僕が釣りの道具を手入れする場所。どうして今まで気が付かなかったのか。

 そういえば、飼い猫のリアンが家の中から上の方を見上げていたことが度々あった。

 慌てて市役所に電話する。TV番組では役所がハチの巣を除去してくれる。

 ところが、役所の人は業者を紹介してくれると言う。

 それだけではない、ハチの巣をもう一度見てください、ハチが出入りしていますか、などという。

 連れ合いとじっくり検分した。

 ハチが出入りしている気配はない。

 役所の人はのんびりと言った。

 もう巣を放棄してるんじゃないですか、寒くなるといなくなるんですよ。

 そんなもんか…。

 で、心配性の僕の提案。もっと寒くなってから壊そう…。

 ところがその翌日、楽天家の連れ合いは棒を持って巣をガツン。

 巣がちょっとかけると、数匹のハチが飛び出してきたから連れ合いは慌てて逃げ去る。

 追いかけては来ないで、欠けている所でウロウロしてたよ、と楽天家。

 心配性はなおも壊そうと企む楽天家に、雪が降って巣が凍り付いたら壊そうと提案。

 ま、それが受け入れられて、巣はそのままに張り付いている。

 ところが今朝…。

 
 
 
2016年12月29日(木)
 もう師走?     0.049μSv/h   



 先のブログからあっという間に1か月がたってしまった。

 その間、何をしていたかというとあまり覚えがない。

 とにかく、4本抱えた仕事を何とか書いて終わらせるのみ。

 4本とは、毎月いわき民報に掲載される「演劇時評」、来年公演されるオペラ「ひかりのゆりかご~熊になった男」の再再演のための改訂版をつくること。

 再演と言えば2015年にいわきPITで上演した「愛と死を抱きしめて」(作演出)も書き改めねばならない。

 新しい俳優さんが出るので、さらにボリュームアップ、良くするつもりだ。

 俳優Tさんから依頼されている小説の脚色も始めなければならない。

 これで4本。

 いわき民報の「演劇時評」の12月分は終了。

オペラ「ひかりのゆりかご~熊になった男」改訂版も2日前に終わった。

 あと2本!

 1月になったら「演劇時評」の1月分も書くから、合わせ技で3本!
って、柔道じゃないから。

 でも、その前に音楽童話「銀河鉄道の夜」の公演が1月13・14日に迫っている。

 今回は連れ合いも合唱で出演する。僕のipadに入ってる演奏に合わせて毎日黄色い声を張り上げ、練習している。

 と同時に、烏瓜の提灯などの小道具も作っている。

 昨年の8月末から10月にかけては体調を崩した、糖尿病の一歩手前まで行った。

 食事療法でなんとかしのいだが、食事療法はまだ続いている。

 カロリー表を見ると、恐ろしくて外食できない。

 かつ丼大好き男だったが、もう食べられない…トホホ。

 今年は9月10月と頻繁に風邪をひいた。1週間ほど寝込んだこともあった。

 まったく、秋は鬼門だ。

 とにかく、今日から年末年始のお休みだ。

 で、なにをやるかというと、何も思いつかないから、やっぱり読書と再演戯曲の検討で終わるんだろうなぁ~

 皆さま、良いお年をお迎えください。

 
 
 
 
2016年11月3日(木)
 ミス サイゴン     0.070μSv/h   



 土曜日と日曜日、東京に行ってきた。

 ミュージカル「ミス サイゴン」に青年座研究所卒のK君が出演している。

 彼が交通事故に遭ったと聞いて心配していたが、回復して出演していると風の便り。

 それでは連れ合いを伴って帝劇へ行くか、と相成った。

 連れ合いは初めての帝劇、初めての本格的なミュージカル。

 帝劇玄関に横着けされた団体客のバスの列に驚き、満員電車のようなホワイエに驚き、売店の多さに驚き…。

 初めて上京したようなはしゃぎようだ。

 しかも、仮設の緞帳に驚き、場ごとの豪華な装置に驚き、出演者の歌が上手だと驚き…。

 僕などはこの緞帳はいくら、この装置はいくら、などと製作値段がわかってしまう。

 地方公演があるとわかって、この装置を運ぶのに11トントラックが何台必要なのだろう、などと考えてしまう。

 馬鹿だねえ…

 「ミス サイゴン」は出演者の好演もあって面白かった。

 ただ、やはり2幕目のアメリカ人の扱いに不満が残る。

 そりゃそうだ、欧米発のミュージカルに悪いアメリカ人は書けない、そんなことをしたらアメリカ人の客が入らない。

 観劇後、大塚のホテルにチェックイン。

 近くの居酒屋に2人で飲みに出かけた。

 ネットで調べて行ったのだが、この居酒屋が大当たり!

 焼き鳥がバカ美味。釣られてこの数年食べてない串カツまで注文してしまった。

 やっぱり串カツは美味い!ただ、高カロリーに注意!

 俳優のK君も元気そうだし、いい居酒屋も見つけたし、連れ合いにも感謝されたし、満足な東京滞在だった。

 
 
   
2016年10月20日(木)
 風邪だぁあ トンカツだぁあ     0.070μSv/h   



新蕎麦食いたい!などとダダをこねていたら…。

 風邪だあ…水曜日の朝、どよ~んと体調の変化。

 月曜にちょっと喉がいがらっぽかった。日曜のワークショップで声を張りすぎたせいかなと思っていたら。

 現れてしまいました、風邪。秋になって何回目か、4回くらいかしら。

 元々、喉から風邪が始まる体質。相当注意しているのだが…

 熱は36度5分止まりなのだが、ちょっとした熱でも相当応えてしまう。

 連れ合いは36度8分でも平気だ。36度3分でおろおろしている僕を見てあきれている。

 それでも今日は1日中寝ることができた。しかも、カロリー制限のために絶っているトンカツ、大好きなトンカツを体力をつけるために食べた。

 万歳!半年ぶりのトンカツ定食!

 どんぶり飯とトンカツは最高です。
 
 
 
 
 
2016年10月18日(火)
 新蕎麦の季節         0.056μSv/h   



 10月の声を聞いてそわそわするのは、新蕎麦の季節だからだ。

 僕の住むいわき市ではあまり開催していないが、会津地方ではひんぱんに新蕎麦祭りが開かれる。

 ああ~新蕎麦が食べたい!キノコの天ぷらが食べたい!

 で、福島県新蕎麦祭りとググってみる。

 やはり会津だ、かなり多い。

 連休の月曜日に南会津で祭りがあることを知り、連れ合いの運転で出かけようと決めた。

 自慢じゃないが、僕は運転ができない。

 言い訳じゃないが、連れ合いは運転が好きだ。

 ところが、鬼の霍乱(かくらん)、連れ合いが熱を出してしまった。

 同時に、日曜日に東京で仕事があった僕も風邪気味に…。

 二人で枕を並べて討ち死にです。

 今月は日曜日に日帰りで東京に仕事に行っている。

 祭りだから日曜日に開催されることが多い。

 やはり新蕎麦は11月まで待たなければいけないか…残念。

 
 
   
 
2016年10月13日(木)
 「風が吹くとき」         0.056μSv/h   



 大阪の松竹新喜劇・若藤会の公演を終えて帰ったら、青年座を経由して関西芸術座からメールが届いた。

 来年の9月、大阪で僕が脚色した「風が吹くとき」を上演したいというのである。

 1986年の春、チェルノブイリで原発事故が起こった。

 その報道がTVで流れ始めた時に、僕は呆然と画面を見つめていた。

 レイモンド・ブリックス作の絵本を戯曲として完成した朝…1986年4月28日の早朝だった。

 それが「風が吹くとき」である。

 舞台はロンドン郊外の老夫婦が暮らす家。

 突然、ロンドンに原爆が落ちる。

 老夫婦は役所からもらったチラシ、それは核戦争が起こった時にどうやって放射能からのがれるか、という解説が書いてある。

 政府の広報のままに、夫婦は家に引きこもり、外したドアを壁に斜めに立てかけて簡易シェルターを作り、その中で生活を始める。

 そして、原爆症に侵されながら死んでゆく。

 放射能に無知な夫婦が政府広報をうのみにして悲惨な目に合う話で、まさか日本人はこんな愚かなことはしまい。

 当時、僕はそう思っていた。

 しかし、あの東日本大震災の時、僕は福島第1原子力発電所から30キロのところにいた。

 3月12日の夜、避難範囲が20キロに広がったとTVにテロップが流れた途端、親族と車で避難した。

 闇雲に…そう、あの時どの方向に逃げればよいのか、各地の放射能の値は広報されていなかった。

 だから、できるだけ原発から距離のある方向に逃げた。

 しかし、相馬では政府の広報を信じて、屋内避難した人々もおおぜいいたのだ。

 まさにブリッグスが描く老夫婦と同じである。

 その屋内避難した人々がどのような目に遭ったか。

 放射能の汚染地域のため、救援のトラック運転手が被爆したら大ごとだ。

 政府は相馬に救援のトラックが入ることを禁じた。

 そして、救援物資を積んだトラックの運転手も汚染地域に入ることを拒んだ。

 その結果、屋内避難した人々に食料などの救援物資は届かなかった。

 ブリッグスが描く老夫婦も救援を待った。

 政府の指示で屋内避難した相馬の人々も同じだった。

 現在、原発事故が起こった時の避難が云々されている。

 避難計画すらできていないところもある。

 政府は、まず原発から5キロ圏内の市民を避難させて、10キロ圏内はそのあと…などと呑気なことを言う。

 だが、放射能は風に乗って拡散する。

 5キロ圏内の市民が避難しているとき、その外の圏内は屋内避難と言うが、放射能値が極めて高い時、屋内避難した人々を誰が救うのか。

 そんな高い放射能汚染地域に屋内避難している何十万、何百万の市民を誰が、どうやって救出するのだろうか。

 ブリッグスが私たちに突きつける問題は時間を経ても色あせてはいない。

 あの原発事故以来、さらに現実的な問題になりつつある。
 
2016年10月12日(水)
 帰宅         0.056μSv/h   



 大阪の松竹新喜劇・若藤会の自主公演を終えて帰宅した。

 いやあ~過酷な稽古だった。

 午後1時から8時までの立稽古。食事して、自主公演の主催者S君と役者K君と飲みながら演劇談義をする毎日。

 出演している役者さんもほとんどは松竹新喜劇の方々だが、本当に熱心だ。

 稽古初日にはもう台詞が入っているし、動きもちゃんと役の感情と意味を言えば理解して、サクサクと動いてくれる。

 日曜・月曜・火曜と3日間で仕上げることができたのは、彼らが熱心にかかわってくれたからだ。

 しかも舞台経験が豊富で、向上心がある。さすがはプロ!

 水曜日は強引に通し稽古と、その後駄目だしをしながら止め稽古。

 木曜日は通し稽古と松竹座8Fの稽古場から荷出し。

 金曜日は大阪文楽劇場小ホールで仕込みと、舞台稽古。

 舞台監督さん、照明さん、音響さん、みなさんも本当に芝居が好きなんだな、出演している俳優さんが好きなんだな、とわかる。

 土曜日曜で4回公演を終了。

 いやあ~大変だったけれど、楽しかった!

 難波のこじゃれたレストランで打ち上げ。

 みんなと離れるのは若干さみしかったが、近くの高速バス乗り場から「いわき行き深夜便」に乗車。

 朝の7時半には勿来インターに到着。

 高速バスは日立から高速を降りて一般道を走る。

 朝も早いせいか人っ子一人いない。

 それよりも人の住んでいない家が目立つ。

 人ごみの大阪、喧噪の大阪を体験してきた身としては、寂れてゆく故郷を見るのは辛い…。

 上記の放射線量をご覧ください。

 大阪よりいわきは大分低いです。
 
 
   
 
2016年9月25日(土)
 大阪      0.087μSv/h~ 0.092μSv/h    



 今日、大阪に来た。

 明日から大阪松竹座の8F稽古場で松竹新喜劇若手公演の稽古があるからだ。

 僕は何をするかというと、もちろん演出です。

 だいぶ前、S君から「まほろば」の稽古場に電話があり、永井愛さんの「僕の東京日記」の演出を頼まれた。

 S君は松竹新喜劇の若手で、これからを託されたスターだ。

 その彼が僕のような田舎に引っ込んだロートルの力を借りたいというのはよくよくのことだろう。

 そう推測して、あまり考えずに承知した。

 でも…こうして大阪まで来てみると、意外と心細い。

 今日、新大阪駅で新幹線を降りて、電車を乗り換えながらここまでくる時も、周りが大阪人と思うとなぜか構えてしまう。

 はなっから感覚が違うと思うからいけないのだ、感覚が違うから面白いと思ってみよう。

 彼らから見れば、僕も彼らの感覚から違う東北人なのだから。

 感覚の違う人間が1つの芝居を創る。

 きっと面白い芝居ができるに違いない。

 で、戯れに放射線測定器で測ってみた。

 それが上記の放射線量です。

 いわきの僕の仕事場より多い。しかも、常に動いている。

 ええっ!!!
 
   
 
2016年9月21日(水)
 晴れのち台風、のち晴天!      0.060μSv/h    



 15日までずっとぐずついた天気だった。

 ぐずついたというより、ぐずつき時々豪雨と雷雨、といったところか。

 薄いプラスチックの板をVの字に曲げ、長さ1.8mのやるを6枚ガムテープでつなげ、勾配をつけて軒下に設置した。

 昨月の台風で、2階の屋根から滝のように落ちる雨水に、床下浸水しそうになった。

 雨中、濡れながら水をバケツでかい出して事なきを得た。

 2階の雨どいが壊れて用をなさない。

 だから、滝のように落ちる雨水を受ける雨どいのようなものを地面に造ったのだ。

 この計画は大当たり。

 雨水は仮設の雨どいもどきを通って流すことができ、豪雨でも床下浸水は免れた。

 だが、晴れると…無用の長物!庭の景観を壊し、隣近所に外聞が悪い。

 でも、豪雨になるか…と思って放置しておいた。

 本当は片付けるのが面倒だったのだけど…

 ところが、また台風来襲!

 いやあ~片付けないで良かった!

 今日は台風一過の晴天。

 穏やかな秋日和…で、巨大な雨どいもどきが邪魔物となった。

 いつ片付ける、と相方と頭を悩ましている。

 
   
 
2016年9月10日(土)
 初練習      0.055μSv/h    



 「まほろば」公演が終わったら、昨日から音楽劇の音楽稽古が始まった。

 合唱童話「銀河鉄道の夜」だ。

 宮沢賢治を原作に、脚色・詩を広渡常敏さんが書き、林光さんが作曲した。

 素晴らしい音楽劇だ。合唱童話と銘うっても大人の童話だ。

 広渡常敏さんの詩はなかなか難しい。

 その一筋縄ではいかない詩に林光さんがつけた曲は楽しいが、とても深い。

 しかもエスペラント語のような、造語のような、言葉まででてくる。

 ま、「イーハトーブ」というよく知られた言葉は、宮沢賢治の造語で、彼の心象世界にある理想郷を指すらしい。

 僕も歌唱指導のSさんも、なかなか大変な作品だと思い知らされた。

 でも、知的好奇心がもりもり沸き起こってきた。

 歌詞の詩的イメージを、感覚をたよりに解きほぐしていくのはなぜか楽しい。

 曲を聴いて、作曲の林さんが広渡さんの詩にどのようなイメージを持ったのか、それを考えるのも楽しい。

 詩と曲のイメージを舞台上にどのような絵にしていくか、それを考えるのはもっと楽しい。

 公演が終わって、今は充電と思索の時、合唱童話と松竹新喜劇の若手自主公演の演出プランを考えています。

 静かな秋の訪れです。
 
   
2016年9月4日(日)
 テンション↑      0.064μSv/h    



 「まほろば」公演が先週の日曜日に終了した。

 とんでもなく大変な戯曲だ。一歩間違えばとんでもない公演になったはず。

 でも、アマチュアの出演者は踏ん張った。

 よくやった!とほめてやりたい。でも、僕はもっと期待する、もっともっとできるはずだ。

 現に出演者は公演後に反省していた。

 その姿勢がいい。自分はもっとできるはずと反省することが、次の公演につながる。

 いい作品を作るのは自覚とチームワークである。

 そういった意味で、上昇を予感させる転換点になった公演だった。
 公演後解放された僕と連れ合いは1週間遊びました。

 といっても、夫婦そろっての釣行です。

 解放されると釣果もいい。

 久之浜で小サバを21匹、鮫川河口でハゼ18匹と10㎝のセイゴ2匹。

 いずれも小型ですが、釣れると気分がいい。

 で、その気分で東京の国立小劇場に芝居を観に行った。

 う~ん…う~ん…う~ん…

 最近の入場料はバカ高い、それにいわきからの往復交通費もかかります。

 だいぶ損した気分です。

 
 
   
2016年8月23日(火)
 台風9号      0.064μSv/h    



 昨日は広野の倉庫から、今回公演の装置の搬出だった。

 ところが、台風予想は搬出予定時間に福島県を直撃。

 装置はパネルが多い。だから強い風にあおられると危険だ。また、雨にぬらすとまずい。

 さらに困ったことは…家の床下浸水の危機。雨水の排水口が詰まって、雨水が流れない。

 雨が降ると2階の屋根から雨水が庭に滝のように降り注ぐ。

 もし、台風になったら…と心配していたら、来ました、台風が。

 でも、準備OK。前日、軒下に幅1.8m、長さ7.2mのブルーシートを軒下に敷いておいた。

 これで2階からの雨水を受け、駐車場の方に流して、家の周囲に水が溜まるのを防ぐ作戦なのです。

 さて、当日。午前中は晴れ間も見えるいい天気。それでも、テレビは盛んに台風情報を流している。

 午後になってポツラポツラと雨が落ちてきた。

 午後2時、広野に向かって出発。広野までは車で1時間かかります。

 すると途中から激しい雨になった。

 家はどうなっているか、床下浸水してしまったのか、心配しながら豪雨の中で装置の搬出作業。

 ま、大きな倉庫で、屋根があるので、ぬれずに済んだ。

 無事、作業を終えて帰宅。

 家は池の上に浮かんで…はいなかったぁ!
 
 
 
   
 
2016年8月19日(金)
 激しい雷雨      0.064μSv/h    



 いやあ~昨日はすごい雨だった。

 僕の借家は築40年以上の一軒家。一見して普通だが、よく見るとあちこちが壊れている。

 特に、二階の雨どいが流れる水を受けられない。ベロンと下を向いている。

 だから、二階屋根から落ちる雨水が庭に滝のように降り注ぐ。

 しかも、庭の植え込みが盛り土をしているものだから、そこからも流れてくる。

 雨脚が早いとたちまち水かさが増して、土台の通気口から床下に流れ込みそうになる。

 昨日もそうだった。

 雨水受けもあるのだが、開けてある排水口が狭くて排水がままならない。

 あっという間に庭に雨水が溜まって、居間から見るとまるで湖面に浮いているようだ。

 すわ、床下浸水の危機!とばかり、通気口をビニールとガムテープでふさぐ。

 排水口が詰まっているのかと思って、穴に木を突っ込む。

 ところが、これがいけなかった。

 穴が完全に塞がってしまったのだ。

 慌てて穴からごみを取り除こうとしても容易にはできない。

 そのうち庭はまるで池のよう。

 ええい、しかたがないとばかりバケツで水をかきだした。

 ま、雨もすぐに上がって事なきを得たが、今度台風が来たらどうなるか。

 友人に聞いたら、昨日は普通の雨量だろう、と不思議顔。

 そうか、二階の屋根から滝のように雨水が落ちるのは雨どいがないからだ。世間では大した雨量ではないのだ。

 だから、少しの雨でも高木家では激しい豪雨なのです。
  
 
   
 
2016年8月18日(木)
 天ちゃん      0.064μSv/h    



 天ちゃんが亡くなってもうすぐ3年になる。

 亡くなったのは2013年8月28日だ。

 

 あの日のことは胸苦しくなるほど覚えている。

 天ちゃんが突然の体の異変に僕の方に走ってきたことも。

 僕の目の前で倒れるまいと四肢を踏ん張っていたことも。

 先天性の免疫異常で肺が半分しか機能していなかった。いつ、何があってもおかしくありませんよと、獣医さんに言われていた。

 1月に1度、麻布大学の動物病院に通って、辛い治療を受けていた天ちゃん。

 4年ちょっとで、その生涯を終えた…

 その遺影と遺骨は僕の仕事部屋に安置してある。
  
 
   
2016年8月15日(月)
 大漁      0.064μSv/h    



 土・日曜日、海釣りに行ってきた。

 故郷・久之浜に居るときには港まで歩いて10分ということもあって、朝夕に出かけていた。

 でも、金山町に越してから滅多に行かなくなった。

 久しぶりに出かけようよ、と連れ合いが言ってくれたので、この盆休みに行くことにした。

 どこに行くか?

 久之浜港までは車で40分はかかる。一番近いのは大津港、そこに出かけることにした。

 大津港近くには日本画家の岡倉天心が造った六角堂がある。

 ところが、大津港に到着してみると、岸壁には釣り人が鈴なり、僕たちが入る余地もない。

 ま、盆休み、家族連れが多い。子供たちが真剣に竿を見つめている。車も県外のナンバーばかりだ。

 それも釣れているようには見えない。

 腹の中で「ざまあみろ…」と思いながら大津港から勿来港に向かう。勿来港は小さな港で釣り人もほとんどいない。

 ということは、やはり…釣れませんでした!

 日曜日はリベンジです。金山町からは遠い久之浜港に出かけました。しかも、早朝6時に到着。

 港には1人の釣り人もいません。朝の港はすがすがしい。

 独り占め、いや連れ合いと二人占めですから、余計に気持ちいい!

 突堤の中ほどに陣取り、1本目の竿は投げ釣りでカレイ・アイナメ狙い。

 2本目は岸壁下にアジ釣りのサビキを落として、コマセを撒く。

 しばらくはぴくりとも言いません。でも、30分後に突然サビキに当たりが来た。

 う~ん、アジではなく小サバです。

 それが次々に釣れる、入れ食いというやつでしょうか。

 次々に上がる小サバを、連れ合いが頭を取り、ワタを抜いて次々とさばいていく。

 大漁に2人とも夢中です。

 結局、2時間で40匹も釣り上げました。

 小さなクーラーは小サバで満杯。

 10時半には竿を納めて久之浜を後にしました。

 で、知り合いのY君にメールで大漁を報告。おそらく彼もどこかで釣りをしてると思ったから。

 大漁の時は自慢するのが楽しいんです。

 やはりY君は小名浜港で釣りをしてました。でも、まだ釣果はないとのこと。

 ふっふっふっふっふっふっふっふっ…

 夕食に、サバフライをビールで流し込みました。美味い!

 ふっふっふっふっふっふっふっふっ…

  
 
 
   
2016年8月8日(月)
 暑いっ!      0.068μSv/h    



 昨日はお墓掃除に行ってきた。

 いわき市の南の端に転居したために、北の端の久之浜町に行かねばならない。

 ピーカンの青空、暑い!暑い!暑い!

 連れ合いの運転する軽で40分。海沿いの町だ。

 津波に流された跡はすっかり消えて、現在は宅地の造成が始まっている。

 だが、懐かしい顔が再び戻ってくることは・・・どうだろうか、会えればいいのだが・・・

 お墓の敷地の背後は雑木に覆われ、その枝が上まで突き出している。

 まあ、掃除をする身には日陰になっていいのだが、いつかは枝払いをしなければと思うと、気持ちが重い。

 敷地内は夏草が茂っている。それをひたすらカッサでこそげ取る。
 そのあと、草をゴミ袋に詰めるのは連れ合いの仕事。

 僕は90センチほど高くなっている墓の基礎部分に乗り、枯葉をかき集めて落とす。

 それから、花立とお茶碗を洗う。

 お線香をあげて手を合わせ、1時間で終了。

 お寺の駐車場からは久之浜と町にかぶさるような波がしらが見える。

 台風5号の高波だ。あの時のことを思い出して一瞬体が震える。

 あの時、僕1人だったから難を逃れたものの、もし両親が健在だったらどうなっていただろう。

 高齢で障害のある両親を無事に避難させられただろうか。

 帰宅の途中、平の七夕祭りに寄ってみた。

 七夕飾りの下を行き来するたくさんの人々。なかなか進めないほど盛況だ。

 だが、七夕飾りは年々少なく小さくなっている。

 それは商店街の歴史を表している。現在、商店と呼べるものは数えるほどだ。

 店を壊して作った駐車場が、商店街に点在して虫食いのようだ。

 それでも市民が群れをなすのは露店が並んでいることと、知り合いが集まる機会を平の七夕に求めているからだろう。

 実際、中学生・高校生のグループや若い家族連れが多い。

 「いつもは食べられないものを食べよう」と連れ合いと意気投合。

 牛串とホタテ串、たこ焼きをチョイス。ビールで流し込む。

 しかし、いつものカロリー制限のためか、それ以上怖くて食べられなかった。

 残念!

  
 
 
   
 
2016年7月29日(金)
 梅雨明け      0.068μSv/h    



 今日は、ここ、いわき市でも青空が広がった。

 関東地方は昨日で梅雨明け。東北地方も早く明けてくれぇ!と叫びたい日が続いていた。

 ふつうは7月25日頃には明けるのだが、今年は長引いた。

 お陰で風邪が抜けきらぬまま3週間も過ぎてしまった。

 今週の月曜日には3回目の医者通い。それでも昨日から普通の体調に戻ったようだ。

 コレステロール値が高くて糖尿病寸前までいった去年の9月。

 あれから必死で減量に努めてきた。その結果、コレステロール値も下がって、医者から良い診断をもらった。

 でも、67キロから59キロまで減量した影響か、風邪をひきやすくなり治りにくくなった。

 今日の青空と共に風邪も吹き飛んでくれればいい。

 懇意にしている俳優のTさんから電話があった。

 手術は無事に済んだという。よかった!僕も連れ合いも心配していた。

 早く元気になって舞台に復帰してもらいたい。

 連れ合いはすごく元気だ。この炎天下の下、庭の草むしりをしている。

 いやあ~その元気には頭が下がる。

 いわきは車がなければ生活できない。

 稽古場の送り迎え、いわきPITへの送り迎え、久之浜への用事など、連れ合いがいなかったら広範の僕の活動はできなかっただろう。

 それに隣町に行って孫の面倒までみている。

 まったく、頭の下がる思いだ。

 
 
   
2016年7月23日(土)
 出不精      0.063μSv/h    



 ここ、いわき市金山町の借家に来て1年半になる。

 40年前に宅地造成された一軒家が建ち並ぶ団地だ。

 南側の斜面に家があるから日当たりはいい。加えて、森が近くにあるから様々な鳥が鳴いている。

 ちょっと前はホトトギスが「東京都特許許可局」と鳴いていた。

 僕の滑舌よりよっぽどいい。

 今はウグイスが鳴いている。こいつもすごくいい声で、声だけを聞くと相当な美女に違いない。

 借家の庭は広い。しかも、前の持ち主が丹精を込めていたから様々な花が次々と咲いて目を楽しませてくれる。

 その庭に鳥の餌を撒く。

 雀が主だが、最近はつがいのキジバトも来る。

 飼い猫のリアンは居間の窓越しに狙っているが、ガラスがあるのでそれ以上はできない。

 ただ身を伏せてじりじりとガラスに近づくだけだ。

 僕はといえばぼんやりとそれを見ている。

 ここに来てから出不精になった。

 ここから町まで歩いて40分、かなりの距離だ。ちょいと市内の繁華街に出てお茶というわけにはいかない。

 久之浜に住んでいたころは身近に遊び場がたくさんあった。

 まず、海まで5分、川まで5分、お茶をいただける親せき宅まで5分。

  しかも、駅まで5分、電車に乗って市内の中心まで20分。

 ところが、ここだと移動は全部車を使わなければ行けない。

 環境抜群の借家だがどうしても出不精になってしまう。

 早く久之浜に帰りたい・・・そう思う今日この頃だ。
 
 
 
   
2016年7月17日(日)
 山形紀行 2      0.054μSv/h    



 今週の11・12日と山形に旅行に行ってきた。

 1日目は宝珠山立石寺(りっしゃくじ)の石段1070段を上り、その後天童市へ。

 ここには広重美術館がある。

 あれ、広重って江戸に暮らした浮世絵師だよな、なんで天童市に美術館があるんだろう。

 なんでも江戸時代末期、天童織田藩は財政が悪化して、裕福な商人や大庄屋などに借金をしていた。

 そのお礼に有名な広重に肉筆画を書いてもらい、差し上げたそうな。

 広重は江戸詰めの藩士や藩医と仲が良かったらしい。

 この肉筆浮世絵は「天童広重」と呼ばれています。

 ただ、あまりにも点数が少ないのでがっかり。

 茨城県天心記念五浦美術館で浮世絵展を鑑賞したときはすごい点数があった。

 将棋資料館にはすごい点数があるんだろうな、天童は将棋の町だもんね。

 で、早々に山形市のホテルにチェックイン。

 ネットで郷土料理の店を調べてそこへ。

 古民家を移築したような内装です。

 店の真ん中に廊下が走り、右手には個室が並び、左手には大きなカウンターがある。

 あれれ・・・どこかで見たような内装、どこかで出会ったような店員の対応・・・

 そう、盛岡で入った郷土料理屋とそっくり同じ。

 で、店員さんに聞いたら、盛岡の系列店でした。

 でも、アユの干物は美味かったなあ!
 
 
 
   
2016年7月14日(木)
 山形紀行 1  立石寺       0.054μSv/h    



 今週の11・12日と山形に旅行に行ってきた。

 もちろん、連れ合いが安全運転する車での往復である。

 「まほろば」に出演する女優K君を送ったあと、いわき勿来インターから一路山形へ。

 常磐道から磐越道、東北道から山形自動車道へ、約3時間少々の旅だ。

 村田JTCから山形道に入ると、そこは蔵王。覆いかぶさる山々を縫って道は走る。そうとう高い山々だ。

 窓から覗くと谷底が見えない。まるで緑の津波が覆いかぶさってくるようだ。

 連れ合いは「怖い!怖い!」を連発。

 12時半ころ山寺に到着。蕎麦屋に入って寒ざらしの日本蕎麦を食べる。

 今まで食べたことのない歯触り、味もちょっと違う。

 これが寒ざらし蕎麦なのか・・・

 と、感心したところで宝珠山立石寺(りっしゃくじ)に向かう。

 860年清和天皇の勅命で慈覚大師が開山したとある。

 いやあ、おったまげた。参道の入り口から見上げると、すごい高い山だ。

 頂上にある大仏殿までは1070段の石段があるという。

 ええ!!往復で2140段!しかも急な階段を!しかも悪いことに好天気!気温も高い!

 僕の意気消沈を見越したのか、連れ合いは妙に元気、颯爽と先頭を切ります。

 案内によると、この石段を上る度に煩悩が落ちてゆくとか・・・

 日も差さない鬱蒼とした杉木立に囲まれた幅2メートルもないような石段です。

 急すぎて手すりを持たなければおっかない。

 汗は流れる、息は切れる、足は痛い・・・煩悩が落ちるどころか、1段ごとに増えるばかり。

 早く止めたい、どうすれば止めれる、その時の言い訳はどうしよう。かえって煩悩が増えるばかり。

 その石段道の脇の所々にお堂が建っています。

  納経堂は崩れ落ちそうな岩の上に建っています。

 結局、頂上の大仏殿まで3回たっぷりと休みました。

 かかった時間、約1時間。年寄りの参拝客もいましたが、若者や外人客も多かったのには驚いた。

 確かに素晴らしい景色と神々しい社殿です。神が宿るような場所と言っていいでしょう。

 帰りは下り道、膝がガクガクで手すりにつかまらなければ転げ落ちてしまいそうです。で、参道のすぐ横で出くわしたのが・・・

   日本かもしかです。慣れた様子で、こちらを観察してました。

 岩を隔てて2メートルほどの距離。びっくりしたあ!
 
 
 
   
2016年7月9日(土)
 米国銃撃事件              0.054μSv/h    



 昨日、アメリカのテキサス州ダラスで警官銃撃事件が起きた。

 元陸軍の退役軍人に12人が撃たれ、5名が死亡した。

 最近、アフリカ系アメリカ人が警官に撃たれる事件が起こった。

 この退役軍人がアフリカ系アメリカ人だから、最近の事件に腹を立てて警官を狙ったらしい。

 ダラス・・・の記憶は今でも鮮明だ。

 1963年11月22日、大統領ジョン・F・ケネディがパレード中に狙撃されて殺された。

 銃が手に入るアメリカではもうすでに銃では身が守れない。

 それなのにNRA(全米ライフル協会)は銃規制に反対する。

 警官そのものが暗殺の対象になる国ってどんな国?体制派と反体制派が内戦を繰り返している国に近いのでは。

 銃規制と黒人差別問題がからむアメリカの歴史と現実。

 僕も「黒人差別問題がからむアメリカの歴史と現実」を詳しく知ったのは最近のことだ。

 だからこそ、この警官銃撃がすごく深刻な問題に思えてくる。

 軍隊で訓練を受けた者が、銃規制をうけないで武器を調達し、報復する。こんな恐ろしいことはないだろう。

 しかし、事件を起こした犯人の気持ちもわかる。

 ぜひ、ケン・フォレット作「永遠の始まり」(SB文庫)を読んでください。そこには黒人解放と人権擁護のアメリカ史が書かれています。

 ドラマとしてもすごく面白い。

 我々がわからない暗黒の歴史です。
 
 
   
 
2016年7月6日(水)
  リアン              0.054μSv/h    



 

 リアンも大きくなりました。

 

 チョコレート色の毛並みなので、ヒョウ柄がなかなか見えませんが、体に光が当たると見えてきます。

 ちなみに、僕は上の写真がお気に入り。まるで宮沢賢治の童話に登場する主人公を猫っぽくしたみたいでしょう。

 

 でも、こいつはキカンボウで甘えん坊。

 
 
   
 
2016年7月4日(月)
  装置作り   0.056μSv/h    



 昨日の日曜と昨週の日曜日、8月のITP(いわき演劇プロジェクト)公演「まほろば」の装置作りに行ってきた。

 倉庫は広野にある。

 広野町は2012年3月31日に避難指示が解除された。

 「帰っていいよ」と言われても、インフラなどがまだまだだから、おいそれと帰るわけにはいかない。

 それでも4分の1の方々が戻ってきたようだ。

 商店などは開いてないから、役所近くに小さなイーオンを誘致している。

 でも、原発あるいは除染作業員の宿舎が多いから、戻った町民よりは作業員の方が多いだろう。

 1つあるコンビニの前には、いわきナンバーに交じって様々なナンバーの車が停まっている。

 ここに並べてある弁当類の数は半端な数ではない。

 装置作りの帰り、3時前に立ち寄ったら、12時ころの弁当類は売り切れたようで、新しい弁当類を補充していた。

 板金工場の大きな倉庫を借りられたのも、原発事故で工場ができなくなったからだ。

 敷地の放射線量は0.1μ㏜/hくらい。いわき市役所前と同じだ。

 原発から20kmから30km内でこのくらいなのは、相当除染を行った成果だろう。

 とにかく、装置作り隊は総勢8名。今回の公演関係者は僕を含めて5名、他の3名はいわき市在住の演劇仲間だ。

 パネルを作ったり、色を塗ったり、暑く埃っぽい作業場でのしんどい作業だが、嫌な顔せずに助けてくれる。

 本当にありがたい。

 2日間も日曜日を犠牲にして付き合ってくれた。彼ら若者?がいなかったら面倒な装置も完成しなかった。

 でも、脚立に乗って色を塗る作業は結構きつい。

 今日の月曜日、妙なところが痛い。腰から下、左足のふくらはぎや右足の太ももだ。

 脚立の乗り方でこんなところの筋肉に疲労が出たのだろう。
 
 
   
 
2016年6月29日(水)
  福島と原発3   0.056μSv/h    



  上記の名称は福島県内で配られている新聞、福島民報の本の題名です。

 福島民報社は「福島と原発」という題で1巻から3巻まで発刊した。
 
 1巻目が「福島と原発~誘致から大震災への五十年」。2巻目が「福島と原発~放射線との闘い+1000日の記憶」。

 そして、3巻目が「福島と原発~原発事故関連死」である。

 僕は3年前から原発事故3部作の戯曲を書き、いわきの演劇人と上演し、それを東京で公演しようとしている。

 最初が「東の風が吹くとき」、2作目が昨年の11月にいわきで上演した「愛と死を抱きしめて」だ。

 現在は3作目の構想に入っている。

 で、読んでいるのが「福島と原発~原発事故関連死」だ。

 これはもう読むのが辛い・・・

 1995年、僕は所属する劇団青年座で朗読劇「あの戦争」を作演出した。

 この年の夏は、朗読劇を書くために太平洋戦争の実体験本を読んで過ごした。

 1文・1文、涙なしでは読めない本だった。

 そして現在、「福島と原発~原発事故関連死」を読んでいる。

 これもまた読むのが辛いドキュメンタリーだ。

 あの原発事故から5年、健康悪化で、人生を狂わされて、様々な理由で亡くなった、あるいは死を選んだ人たちがいる。

 そのような子や親を持った家族の思いはどんなだろう。

 子や親を殺し、あるいは自死に追い込んだのは原発事故であるという証明を求めて、家族は提訴する。

 その苦しみが切々と本から伝わってくる。

 ちりばめられた死と家族の苦悩。読むのが嫌になってすぐに他の小説に逃避する。

 これはスティーブン・ハンター作の「I、Ripper~我が名は切り裂きジャック」だ。

 これも怖い小説だが、フィクションだからまだ救われる。

 「福島と原発~原発事故関連死」は戯曲を書くための資料だからわかるが、なぜ「I、Ripper~我が名は切り裂きジャック」を選んでしまったのだろう。

 
   
 
2016年6月27日(月)
  風邪っぴき   0.063μSv/h    



  昨年から風邪をひく機会が増えた。

 つれあいが時々孫の世話に行っている。その3名の孫から彼女がうつり、その後僕がいただくらしい。

 彼女は鼻をぐじゅぐじゅやるだけだが、体温の低い僕はちょっとした上昇でも大事になってしまう。

 「まったく、弱いんだから」と言いながらも、彼女はなぜか嬉しそうだ。

 先週の頭から体調がおもわしくなく、木曜日の朝、突然お風邪様がおみえになってしまった。

 喉が痛い(僕の症状では定番)、体が熱い(36.7°でも結構辛い)、しかも今回は体中の節々が痛い(僕の症状では異例)。

 木曜!!!お医者さんはお休みです!

 でも、ありました、木曜でも診察している医院が!

 彼女の運転で早速その医院へ。

 大きくて明るくて素敵な医院です。

 しかももっと良いことには患者が少ない!

 詰め込まれた待合室で待つのは、症状とあいまって精神的にも悲惨です。

 すぐに名前が呼ばれて診察室へ。

 へっ・・・僕のイスとお医者様の距離がだいぶある・・・

 これじゃ触診もできません。で、僕はイスに座ったままキコキコと医者のそばに行こうとしました。

 ところが看護師さんが、そこにいなさいと言う。

 遠いところから質問が飛んできた、喉は?熱は?いつから?

 当惑していると、先生がキコキコと椅子を鳴らして近づいてきた。

 そして、服の上から聴診器を当てる。

 すぐにまたキコキコと椅子を鳴らして離れていきます。

 唖然・呆然の僕。

 診断はまぎれもなく風邪でした。

 で、彼女が帰りの車中で言いました。

 「病原菌扱い、されなかった?」
 
 
   
2016年6月24日(金)
  相双地区高校演劇発表会 その2   0.063μSv/h    



  先日、福島県相双地区高校演劇の発表会を観に行った。

 東日本大震災の後、象徴的に1Fと呼ばれる福島第一原発がメルトダウン(炉心溶融)した。

 あれから5年。避難指定区域の飯舘村にあった相馬農業飯舘校は福島市に避難して、そこでサテライト校を開いた。

 そのサテライト校の演劇部が創作劇「いつか、その日に、」を上演した。

 近い将来、飯舘村の避難指示が解除され、福島市のサテライト校が飯舘の旧校舎に引っ越す日を描いている。

 サテライト校を片付けている生徒は福島市に実家がある。サテライト校が市内に開設された時に入学した。

 しかし、飯舘の旧校舎に学校が移れば、市内からバスで通わなければならない。

 おそらく1時間ちょっとだろう。だが、バスの便がいいとはいえない。登校の便も下校の便も、1便か2便だろう。

 悪条件の中、彼らは今後、飯舘校に通うか、それとも市内の高校に転校するか、悩んでいる。

 飯舘校に通えば交通費の負担も重い。乗車時間が長く、便も少ないために部活もできない。

 しかし、転校したらクラスメートと離れ離れになってしまう。

 あの原発事故で飯舘校は福島市のサテライト校に越した。在籍した生徒は各地に避難して生徒は極端に減少。

 このままでは消滅してしまう。飯舘村は農業と畜産の村である。

 飯舘校がなくなれば後継者を育てられない。

 福島市近辺から生徒を募集したのは当然の成り行きだろう。

 しかし、そのような社会状況にもてあそばれる高校生の苦悩は大きい。

 でもまあ、これも芝居、フィクション、虚構の世界だからと思っていた。

 ところが、6月12日、政府は福島県の復興指針改定を閣議決定した。

 避難指示解除準備区域、つまり飯舘村の避難指示を2017年3月までに解除する方針である。

 この演劇に描かれた生徒たちの苦悩が現実味を帯びて来た。
 
 
 
   
 
2016年6月23日(木)
  相双地区高校演劇発表会 その1   0.064μSv/h    



 福島県の浜通りにある双葉郡。相馬地区と双葉地区を合わせて相双地区という。

 先日、その相双地区高校演劇の発表会を観に行った。

 常磐道を北上すると、広野楢葉出口から放射線量が高くなる。

 そう、この高速道路は事故のあった福島第一原発近くを通っている。

 だからバイクなどの二輪は通行禁止だ。路肩の定点観測機器の表示に目を凝らす。

 富岡で1.8μ㏜/h、双葉町で4.1μ㏜/h、浪江では0.6μ㏜/hと急激に低くなる。

 ま、除染の対象になるのが0.23μ㏜/hだから、相当高い。

 このあたりが帰還困難区域だ。

 高速から下を見ると、地震当日のような崩れた瓦屋根の家が目立つ。

 その家も駐車場の車も、庭の雑草に呑み込まれそうだ。

 周辺には原野が広がっているばかりで、畑はもう跡形もない。

 1時間40分かけて南相馬市のさくらホールに到着。

 出場校は5校。原町、相馬東、相馬、相馬農業飯舘校、ふたば未来学園だ。

 相馬農業飯舘校とふたば未来学園は昨年からの参加になる。

 原発事故の前はこの地区でも7から8の加盟校があった。

 しかし、学校は避難区域か、帰還困難区域に入り、県内にサテライト校として散らばってしまった。

 相馬農業飯舘校はサテライト校で、現在は福島市にある。

 ふたば未来学園は昨年に開講した高校だ。双葉郡教育復興ビジョンに基づいて、避難解除区域の広野町に作られた。

 相馬農業飯舘校サテライト校は福島市から114号線を1時間15分かけて来た。

 また、ふたば未来学園も広野駅から東相馬までいまだに常磐線が不通だから1時間以上かけて車で来るほかない。

 復興、復興と県や国の掛け声は大きいが、まだまだ復興を言える状態にはない。

 高校生たちの苦悩、その一端を今度の発表会に見た。
 
 
   
2016年6月21日(火)
  突然のW10          0.064μSv/h      



 古いPCに異変、突然ディスプレイが映らなくなってしまった。

 どうやら接触が悪いらしく、モニター部分を少しずつ動かして映るところを探す。

 もし映らなくなったらどうしよう。過去のデータも、これから書く作品の資料も入っている。

 ということで新しいPCを購入した。Windows10が入っている。

 旧PCのすべてのデータを新PCに移したが、ホームページビルダーは移せなかった。

 だいぶ前のホームページビルダー12だ。

 一番新しいホームページビルダー20と互換性があるだろうか。

 と、こうなると僕の手にはあまる。

 PCのことではいつもお世話になっているOMさんに助っ人をお願いした。

 ホームページビルダー20を購入した。

 ダウンロードと12から20への引っ越しはOMさんがサクサクと処理。

 さすがの手腕。おかげで助かった。

 そんなこんなで新しいPCで、新しいホームページビルダー20で、これを書いています。
 
 
 
   
2016年6月7日(火)
  ミュージカル発表公演          0.063μSv/h      



 5日、いわきPITでいわき市内の方々が参加するミュージカルの発表公演があった。

 いわき市には複数の合唱団がある。だが、ミュージカルやオペラを上演する団体はない。

 当然、いわき市でアマチュアが公演を行ったこともない。

 この企画の練習は4月初めから行われた。

 声楽指導は東京からS先生を呼んで、金曜日の夜に8回。

 ダンス指導は地元と東京で活躍しているK先生にお願いした。

 S先生は30歳からの旧友で、青年座の研究所でもお世話になった方だ。

 声楽家でありながら、今井美樹さんや森山直太郎さんのボイストレーナーでもある。

 地元に優秀な合唱指導者がいるのになぜ声楽指導をS先生にお願いしたのか。

 それはミュージカルと合唱の歌い方はまるっきり違うからだ。

 合唱は団体のハーモニーを大事にする。だが、ミュージカルは団体で歌うのではない、個々が登場人物の思いや心理を歌う。

 つまり、2つは別物なのだ。

 参加者は22名。お年の方には合唱の経験者もいた。その方々は歌い方の違いにずいぶん戸惑ったようだ。

 若い女性が多かったが、ほとんどが歌を歌ったことがない方だった。でも、若いためか順応性は高い。

 S先生とK先生の厳しい指導の下、皆は頑張った。

 3日の夜に1回、4日の午後から1回、夜に舞台稽古。

 5日は午前中に舞台稽古。そして1時からの本番。

 ど素人の公演に90名のお客さんが入ってくだすった。

 東京からわざわざ来ていただいた89歳の老夫婦はS先生のお弟子さん。

 東京から来たHちゃんは今年プロの俳優になったばかり。

 2組の方々が言うには、みんな一生懸命で歌の思いが痛いほど伝わってきた、とおっしゃっていた。

 プロでも素人でも、うまく歌うことがだいじなのではなく、いかにその歌の思いを伝えて、観客の心を揺さぶるかだろう。

 とにかく、練習の回数は12回ほどだったのに、参加者は驚くほど成長した。

 今後もこのような企画を計画して、市民ミュージカルの公演を実現したいものだ。
 
 
 
   
2016年6月2日(木)
  平泉 その3          0.063μSv/h      



 24日の朝、一関のホテルから車で平泉へ向かった。

 連れ合いは、「金色堂!金色堂!金ぴかの金色堂!」と朝からハイテンションだ。

 30分ほどで参道の入り口に到着。

 駐車場に車を入れると、駐車場はお土産屋と食事処にぐるりと囲まれている。

 さすがに蕎麦とお餅の看板が多い。特に目を引くのは「わんこそば」だ。

 だが、カロリー計算をしている身。ぐっと唾をこらえる。

 参道を見上げると、どうやら一山が中尊寺らしい。

 かなり急こう配の一本道を登る。その参道の左右に御堂が建てられている。

 説明書によると、奥州藤原氏の初代清衡が11世紀末に江刺から平泉に拠点を移した。

 清衡が中尊寺建立の大法要を営んだ際の供養願文には

 「戦乱で亡くなった霊を慰め、浄土に導き、平泉の地に仏の教えによる
平和な理想社会を建設する」とある。

 一番上には金色堂があるというのだが、老夫婦はハアハア息を弾ませ、膝ガクガクで登る。

 参道の両脇には巨大な杉の木立。九百年もたっているのですごく太い。しかも神々しい。

 木立の間から平泉の平野が見える。大きく蛇行する北上川。平野を鋭角に切り裂く新幹線の線路。

 これだけの富と権力を持続するのは肥沃な平野と金鉱があったればこそ、と納得させられた。

 あれ・・・金色堂に着いたけどちっとも金色じゃない!と連れ合いは不満顔。

 金色堂が風雨にさらされて劣化しないように、建物で覆っているんです。

 さらに、不心得者が金色堂に上がり込まないように、参観通路と御堂はガラスで仕切られている。

 さすがに金色堂は権力的な金色です。

 ピカピカしているかと思ったら、照明も少なく陰気な金色、闇に紛れたようなに輝いている。

 金箔と螺鈿の模様、そして模様にちりばめられた宝石。

 よっく観なければ見過ごしてしまいますが、すごいです。

 一関市街に戻ってお土産を買う。

 「亀の子せんべい」は亀の甲羅を模した煎餅の上にゴマのペーストを塗ったもの。表面は真っ黒です。

 駅前の蕎麦屋で昼食。

 この蕎麦がなかなかに美味かった。注文を聞いてから打つそうで、時間はかかったけれど。

 平泉は京都とはまたちがう趣きでなかなか良かったです。
 
 
 
2016年6月1日(水)
  平泉 その2           0.063μSv/h      



 23日24日と車で岩手県平泉へ観光旅行に行ってきた。

 いわき勿来インターに乗ったのが9時。一関インターを降りたのが13時過ぎ。

 そこから平泉の毛越寺へと向かった。

 毛越寺は藤原氏3代のうち、2代目の基衡が造営に着手、3代目の秀衡の時に完成。
 
 堂塔が40余り、僧坊500余りという中尊寺をしのぐ規模だ。

 印象に深いのは中央に大泉が池を配した浄土庭園だ。

 その池の周りに40余りの堂塔があるのだが、全然見えない。

 周りにあるのは○○跡地という表示のみだ。

 そうだった、奥州藤原氏は源義経をかくまった罪で兄の頼朝に攻め込まれ、滅んでしまうのだった。

 その戦火でほとんどの塔堂が焼失してしまった。

 ま、そんなことを知るのは近くの平泉文化遺産センターを見学したからだ。

 初めて平泉を訪れる方には、いの一番にここを見学することをお勧めしたい。

 義経と頼朝の確執、奥州藤原氏3代など中学生なみの知識しか持たぬ自分には大いに役に立った。

 僕のように、「なんだ、毛越寺って本堂しかないのか!」などと不満を言う輩もいるから。

 いや、お恥ずかしいかぎりです。

 夕方、一関駅近くのホテルにチェックイン。

 すぐに「世嬉の一」という酒造に直行。ここには酒の民俗博物館からレストラン、カフェ、勿論日本酒の直売所まである。

 びっくりしたのは地ビールまで作っていること。

 早速、岩手の郷土料理を味わいながら地ビールをいただいた。

 あまり日本酒を飲まないせいか、この地ビールが美味い!

 しかもたくさんの種類がある。

 とりあえず4種類を堪能。

 いやあ、美味かった!

 焙煎モルトを使用した琥珀色のビールとか、三陸牡蠣のスタウトとか、ホップのかわりに1部山椒を使ったビールとか、びっくり美味しいビールばかりでした。

 あんなビールがいわきにもあればなあ・・・
 
 
 
2016年5月26日(木)
  平泉 その1           0.061μSv/h      



 23日24日と車で岩手県平泉へ観光旅行に行ってきた。

 連れ合いが前から中尊寺を見たい見たいと言っていた。

 今月から来月初めにかけて仕事は忙しいが、ちょっと工夫すれば行けるだろうと思っていた。

 それに、思い立ったら、とかなんとやらで、老い先短い身としてはこの機会を逃したらと思ったのだ。

 朝の9時、いわき勿来インターから常磐高速に乗る。

 このまま仙台に行って、仙台東部道路と北部道路に乗り継ぎ、東北道を北進する。

 ずうっと高速道路で行ける3時間半ほどの行程だ。

 いわきインターからわずか20分ほど走って四倉パーキングで休憩。
 どうしてすぐに休んだのか、それは四倉と相馬間にはパーキングがないからだ。

 それはこの間に福島第一原発があるから。車以外のバイクなどは空気にさらされるため走行禁止になっている。

 実際、近辺は4μ㏜くらいあった。今住んでいる所が0.061μ㏜だから恐ろしい数値だ。

 東北道に入って休憩。お土産屋を覗く。

 仙台銘菓の「萩の月」を発見!宮城名物の「ずんだもち」と「笹かま」を発見。

 連れ合いは「白松がモナカ」を探すが全然見当たらない。彼女はこのモナカが大好物なのだ。

 僕はといえば、カロリーを気にして生活しているのでお菓子はご法度だ。

 昼飯を食べたいのだが、食事所には高カロリーのメニューばかり。

 仕方なく、僕はサンドウィッチ、連れ合いは魚のすり身を串に刺して揚げたものを車の中で食べた。

 これじゃ普通の生活と同じだ。

 実際、僕らは旅館ではなくホテルに泊まる。本当は温泉旅館に泊まりたいのだが、出てくる豪華な食事が食べられない。

 それはあまりにもカロリーが高すぎるからだ。

 ああ、お刺身、揚げ物、お鍋などなどの旅館定番料理をむさぼり喰らってみたい。

 主治医から「そろそろ糖尿のお薬飲みますか」と言われるだろうなあ。

 だから、ホテルに泊まって市内の郷土料理を食べに出ることになる。

 午後1時過ぎに一関インターを降りて平泉へ向かう。

 今日の観光は毛越寺と文化遺産センターだ。
 
 
 
2016年5月14日(土)
  倉庫確保           0.061μSv/h      



  今までITP(いわき演劇プロジェクト)では、昨年と一昨年に公演したお芝居の装置を2か所に置いてあった。

 1か所は自動車修理工場。これは借り手が現れて運び出さなければいけなくなった。

 2か所目は原発から30キロ圏内の避難した家。

 ここは避難が解除され、再び住めるようになった。

 そのために家を解体して新しい家を建てる。だから装置を運び出さなければいけない。

  さあどうすんだ・・・と苦慮していたところに救い主現る。

 これまた30キロ圏内の廃工場が借りられることになった。

 よかった!

 と言うわけで先日、そのどでかい廃工場に2け所から装置を運び込んだ。

 装置を運び込んでもまだスペースはある。装置を建てこむこともできるくらいだ。

 と喜んでいるところに、また吉報が!

 装置を置いていた家が解体される。その家から建て具をいただけることになった。

 劇団青年座にいたころは建具を作ってもいたし、何種類か置いてあった。

 しかし、倉庫もないITPでは建具を置く場所もなかった。

 障子・襖・板戸などの建具は日本を舞台にしたお芝居をやるときは必ず必要になる。

 古い物ならなおさら貴重だ。

 それがいただけることになった。

 爪に火をともすようにいわきで演劇を続けている身にはありがたい。

 評論家の方や様々な基金の方からびっくりされるのは、よくお金もないのに芝居ができるね、だ。

 ITPの代表T君も僕も内緒で身銭を切っております。
 
 
 
2016年4月19日(火)
  熊本大地震           0.067μSv/h      



  16日の夜、文化センターでの稽古が終わった21時半。

 出演者とロビーに下りて来ると、携帯に熊本で震度7、という情報が入っていた。

 出演者は、いわきで東日本大震災を経験した方々だ。

 震度7がどのような揺れか、その後の混乱と避難がどんなに大変か、良く分かっている。

 皆で声をひそめて話しながら別れた。

 しかし、その後の展開はどうだろう。

 熊本から阿蘇、大分へ、どんどんひどくなるばかりだ。

 そして、断層近くにある川内原発と伊方原発。

 早く収まってくれと祈るばかりだ。なのに問題ないと、太鼓判を押す大臣さま。

 何かあったら、また想定外なんて言い訳をするんだろうなあ。

 「歌おう!踊ろう!ミュージカル!」が始まった。

 参加者は26名。定員満杯!大入り満員!

 歌唱指導のS先生を東京からお迎えして開講した。

 S先生は青年座研究所や声優校で発声を教える、かつての同僚。

 歌唱指導の後は高木邸にお泊り。飲んでますよ、一緒に!

 ITP(いわき演劇プロジェクト)の稽古も4月から始まった。

 6名の女性芝居の「まほろば」(蓬莱竜太・作)だ。

 5名は地元の方々だが、1名は今年青年座研究所を卒業したKさん。

 やはり若者はキラキラしてる。いわきで演劇に関わる人ももっと若者が集まってくれればいいのに。

 
 
 
2016年4月1日(金)
  リアン危機一髪 その2           0.053μSv/h      



  朝一番でA犬猫病院にやってきた。

 A
先生は天ちゃんの難病を見つけてくれ、4年半も生かしてくださったいわきの名医です。

 だから医院は患者さんでいつもいっぱい。

 なるべく早くリアンを診察してもらわねば、と思って7時過ぎには連れ合いの運転する車で家を出た。

 9時が診察開始時間だが、駐車場に到着したのは8時頃。

 それでもすでに2台の車が待っている。幸いなことに僕らは3番目です。

 尿がでないのでリアンはキャリーの中で鳴くばかり。

 相当苦しいのでしょう。

 頑張れ、リアン!

 1時間余り待って、やっと受付を済ませ、診察を待ちます。

 30分ほど待って診察室の中へ。

 僕の説明を聞き、診察して、先生は尿道に石が詰まっていると確信

 尿道にすごく細い管を慎重に入れて石を押し込み、それからお腹を絞り出すようにして溜まった尿を出しました。

 薄く血が混じった尿が大量に出ました。

 小さな体にこんなにも溜まっていたのかと驚くような量です。

 その中にさらに微細な白い結晶。

 これで石が排出されたのならいいのですが、まだ残っていたら・・・

 次に採血して検査です。

 採血後は背中に点滴してもっと尿が出るようにします。

 尿を出して残っている石を出します。

 リアンは鳴きもせず、逃げもせず、じっと診察台の上で耐えています。

 治療は30分にも渡りました。

 幸い、腎臓の数値は正常、尿毒症を起こさなかった。

 あと、12時間遅れていたらどうなっていたか、と先生に言われました。

 様子を見たりしないで、すぐに病院に来て良かった。

 みなさん、自己診断しないですぐに先生に診てもらいましょう。

 小さな命は飼い主の手に握られています。
 
 
 
2016年3月31日(木)
  リアン危機一髪 その1           0.052μSv/h      



 28日の夜10時半、布団から起き上がったら連れ合いが帰宅していた。

 東京の娘さんが引っ越しをするので手伝いに行っていたのだ。

 彼女がリアンの様子がおかしいという。

 居間にリアンが戻ってきた。ごろんと横になったかと思うと、大事なところをペロペロ。

 すぐに立って、また廊下に消えた。

 そっと廊下をのぞいてみると猫トイレにいる。

 5分くらい踏ん張っていただろうか、大きく猫チップを散らしてまた居間へ。

 またまたペロペロ。そして、すぐに廊下の猫トイレへ。

 この動作をひっきりなしに繰り返す。

 思い当たることがある。猫仲間から言われていたこと、猫は尿道結石になりやすい。

 すぐに「猫、トイレ、頻繁」と検索する。

 ありました、症例が。

 やはり尿道結石か膀胱炎だ。

 で、猫トイレの底のトレイを引き出して見ました。

 濡れていない!

 こんなことをしている間にも、リアンはひっきりなしにトイレへ。

 きっと苦しいのでしょう。苦しさを訴えられないだけにかわいそうです。

 連れ合いを寝かせて、僕はリアンの様子を見るために寝ずの番です。

 明日は一番でA犬猫病院に連れて行かなくては。

 A
先生は天ちゃんの難病を見つけてくれ、4年半も生かしてくださったいわきの名医です。

 小さな体は突然容態が急変することもあります。

 頑張れ、リアン!

 
 
 
2016年3月26日(土)
  夜行寝台列車           0.052μSv/h      



 上野から故郷・久ノ浜駅までの夜行各駅停車の列車をグーグルで検索していたら、興味深い列車が見つかった。

 「特急ゆうづる」だ。

 これは上野から青森を結ぶ寝台列車で常磐線の平駅(現・いわき駅)を経由して運行した。

 昭和42年ごろは下りの「ゆうづる」だけで4本も走っていた。

 僕が乗車したのもそのころだ。

 当時、僕は劇団青年座に入団したばかりで、しかも初めての旅公演だった。

 青森市から始まる東北勤労者演劇鑑賞会(現・東北演劇鑑賞会)の旅公演に行くためにスタッフとして乗り込んだ。

 ちなみに、出し物は「写楽考」(矢代静一・作)で主演の写楽役は西田敏行さんだった。

 21:40に上野駅を発ち、青森駅に着くのは7:06だ。到着後、朝食をとって9時から市民会館で舞台の仕込みが始まる。

 悪いことに夏場の旅公演だった。

 当時の市民会館には冷房のないところが大多数だ。

 装置を運び込む搬入口も舞台近くにない。

 それどころか、会館の客席奥から客席通路を通って運び込むところもある。

 装置は、梁や柱だけの二階建ての家だ。重い!

 大変だなあ、と2等寝台に横たわっていると、急に右の背中に激痛が走った。

 当時持病だった尿管結石の痛みだ。

 結石を患った人ならわかるが、あれは半端なく痛い。

 痛み止めをと旅行鞄を探ったが、ない!忘れた!

 初めての寝台夜行列車の思い出は激痛に耐える一夜でした。

 でも、青森に着くころには痛みも消えていました。


 
 
 
2016年3月23日(水)
  眠れない夜           0.052μSv/h      



 夕べはあまり眠れなかった。

 昨日の昼間、少々大きな地震があったからかもしれない。

 今住んでいる借家はかなり固い土地に建っているとみえて、ちっとやそっとの地震ではあまり揺れない。

 ところがいわきは震度3なのに揺れたように感じた。

 で、夜の11時半、目が覚めた時にふいに昼間の地震を思い出してしまったのだ。

 それと大震災の時の記憶が重なった。

 3月12日夜、放射能から逃げ惑った記憶だ。

 もし、あれと同じことが起こったら・・・

 あの時は原発事故の詳細や放射能の観測値など公表されていなかった。

 政府は知っていたくせに、「むやみな混乱を引き起こす」という取ってつけたような理由で発表しなかった。

 原発から30キロ圏近くに居た僕たちは、テレビのニュースで避難が20キロ圏まで拡大されたのを知った。

 10キロなど放射能はあっという間に風にのってやってくる。

 そう思って、不安にかられて避難を決めたのだ。

 現在僕は放射能測定器を持っている。

 その数値が突然上がり始めたら・・・どうする!

 数値が上がっていることは僕の測定器には表れている。だが、報道されてはいない。

 この変化を人に知らせるべきか?機械の故障かもしれないのに?

 でも、近くに住む連れ合いの子供たちには教えよう。

 11年の避難時は食べ物も飲み物も何もないままで逃げ惑った。

 車には1週間くらい生活できる物資を積まなければならない。

 勿論、キャリーに入れたリアンも!

 猫トイレもキャットフードも・・・

 で、どのルートを通って避難するのか・・・

 高速道路はもう封鎖されているかもしれない。とするなら、まず勿来インターへ行き、封鎖されていたらそのまま直進。

 石川町に抜けて白河に出る・・・

 まあ、そんなことを考えているうちに眠れなくなったわけです。

 
 
 
2016年3月22日(火)
  夜行列車 その1           0.056μSv/h      



 札幌東京間の寝台特急カシオペアの運行が終わった。

 青年期から夜行列車をよく利用した者にとっては寂しい限りだ。

 とは言っても、カシオペアもトワイライトエクスプレスも乗りたいとは思ったが、乗ったことはない。

 でも、若い頃でまだ交通の便が良く無い頃は、仕事をする地方都市に朝方着く便を良く利用した。

 それがいつの間にか高速バスとなり、新幹線となり、寝台特急は時間とお金の余裕があるときにしか乗れなくなった。

 最初に乗ったのは40年ほど前だろうか。

 東京で大学生生活を始めた頃、上野から平駅(現在のいわき駅)を経由して久ノ浜駅までは良く乗った。

 各駅停車の夜行列車で、対座式の木製の固い座席だ。

 上野発22時15分の常磐線経由青森行き各駅停車だ。

 ま、貧乏学生だったから駅弁などは買ったことがない。

 それでも、お婆さんにはよく煙草1カートンをお土産にした。東京に帰るときのお小遣い目当てで。

 よく乗ったと言っても、夏や秋の気候の良い季節にだ。

 この古色蒼然とした客車は、夏は冷房がなく、冬はスチームが入るが隙間風がひどく、とても寒い。

 それでも、夏場は窓を開けとくと、とても涼しい。

 40年前は取手近辺は駅周辺に家もなく、ホーム周りは水田ばかりだった。

 20分から30分の列車待ちの時にはホームに出て、若い苗を波打たせて吹いて来る涼風を受けたものだった。

 乗っていながら夜が明けていくと、自分の未来が明るいものに思われた。

 そして、トンネルを抜けると、突然海岸に出る。

 そこが僕の故郷・久之浜町だ。

 僕は誰もいない駅舎を出ると、誰もいない町を抜けて実家に向かっていく。

 朝4時半の海辺の町はまだ眠っていた。

 東日本大震災の津波で町の半分が消滅した。

 今は僕の思い出の中に眠っている。
 
 
2016年3月12日(土)
  「焼肉ドラゴン」           0.056μSv/h      



 水曜日、東京に出かけて行って芝居を観た。

 在日3世の鄭義信が作・演出した日本の影の戦後史を描いた3部作の一挙上演が、新国立劇場で始まった。

 大阪万博をはさんだ1970年前後の朝鮮人集落を描いた「焼肉ドラゴン」である。

 客席に入ると、舞台にはバラックの集落が狭い路地の両側に並んでいる。

 下水の臭気まで漂ってくるようなリアルな装置だ。

 舞台の3分の2を占める焼肉屋の店内にはカウンターの前に土間のテーブル席、板張りの小上がりには座卓が並んでいる。

 その奥は家族の住居だ。焼き肉屋のドラゴンは空港そばの下水もない朝鮮人集落にあった。

 ここでは店主の父・龍吉、妻・英順、3姉妹の長女・静花、次女・梨花、三女・美花と高校生の長男・時生が暮らしていた。

 だが、この集落は立ち退きを迫られていた。

 時は大阪万博、高度成長が陰りを見せ始めた頃だ。

 結局、長男・時生は自殺、長女・静花は夫婦ともに帰国事業で北朝鮮へ、次女・梨花も結婚して韓国へ、三女・美花は大阪に残る。
 
 龍吉・英順の夫婦はリヤカーを引きながら取り壊し中の集落から去って行く。

 家族がばらばらになっていく物語だ。

 老夫婦を演じた韓国人俳優が素晴らしかった。

 「郷里を捨て、家族を捨てた時、流浪の民となった」と夫が嘆くとき、妻は「それが私たちの運命だよ」と応じる。

 そこには歴史に翻弄されながらも逞しく生きる人々がいた。

 これはかつてそこにあり、今はない朝鮮人集落とそこに生きた人々の物語だ。

 久々に感動した舞台だった。

 
 
 
2016年3月8日(火)
  頑張ってるぜ!           0.072μSv/h      



 いわきPITの劇場監督になってから結構人と会うのが多くなっている。

 先週から今週にかけては大忙しだった。

 昨年は「表現教育」の市民指導者を育成するために玉川大学のD先生にお願いして講座を開催した。

 4月からは受講者が次のステップに進むための講座を用意しなければならない。

 それには当然実践あるのみでしょ。

 ちなみに「表現教育」と言うのは子供たちのコミュニケーション能力を育成するためのメソッドである。

 ところが、子供たちを集めるのはなかなか大変な作業だ。
 
 で、考えた。教育委員会と共に開催したらどうだろう、教育委員会にもこのような種類の催しがあるはずだ。

 で、2月初旬にいわき市教育員会の生涯学習課に行き、どうして現在の子供たちに「表現教育」が必要か、お話してきた。

 Aさんがとても熱心にお話を聞いて下さった。

 そのAさんから電話があり、今週の月曜折り返して電話した。

 来年度の11月に「表現教育」の講座を2つの小学校で開催してみないかとのこと。

 Aさんが親切にも講座を学校に進めてくださったのだ。

 早速、D先生にメールしたら、ぜひやりましょうとのこと!

 みなの善意に支えられています。

 また、僕が企画した「歌おう!踊ろう!ミュージカル!」のポスター貼りも連れ合いの運転で回ってきた。

 この企画は東京から声楽家のSさんに来てもらって、初めて歌う人も踊る人も、皆でミュージカル・ナンバーを歌って踊っちゃおう、という企画である。

 楽器店や公共機関など、快く受け入れてくだすった。

 時々、この歳でなんでこんなことやってんだろう、と考えることがある。

 でも、他人と繋がることは結構楽しい!
 
 
 
2016年3月3日(木)
  ひな祭り           0.068μSv/h      



 今日はひな祭りだ。

 いわきは朝からうららかな春陽が差して、静かな朝だ。

 でも、僕の体は悲鳴を上げっぱなし。

 昨日の東京行き、強行軍だったからだ。

 午後、3時から西新宿で打ち合わせ。

 よし、この前後に用事を入れてしまおう、せっかく上京するんだから。先月出産した娘の女の子Eちゃんにも合いたいし。

 と欲張ったのがいけなかった・・・

 朝、勿来インターを7:07発の高速バスで連れ合いと共に上京。

 綾瀬で下りて一路綱島へ。

 娘と旦那さんのフランス人Mさん、そして1か月にもならないEちゃんが迎えてくれた。

 大きな女の子だ、しかも黒の頭髪に金のメッシュが入っているんだぜ。

 しかも鼻が高い!美人さんになりそうです。

 フランスから連れて来た黒猫もいた。

 これがでかい。長毛種で、腹ばいになると腰の辺りが野球のホームベースほどの大きさになる。

 お寿司でお祝いして午後1時には西新宿へ。

 打合せが終わったら大井町へ移動。

 もうもう、パソコンを買い替えないと・・・

 こうしてブログを書いているときにも、リアンが来てパソコンの角にスリスリすると画面が消えてしまう!

 K嬢にお願いして、大井町のヤマダでパソコンを取り置きしてもらったのです。

 で、大急ぎで東京駅の高速バス乗り場へ。

 6時発のいわき行きに乗れました。

 家に帰り着いたのが9時・・・

 昨日はそう感じていなかったのですが、今朝起きて体のあちこちが悲鳴をあげています。

 でも、都会は便利です。

 綾瀬から綱島、綱島から新宿3丁目、伊勢丹で買い物、新宿3丁目から西新宿、西新宿から大井町、大井町から東京駅。

 こんなに移動してもそんなに時間がかからない。

 いわきでは電車は1時間に1本ですから。
 
 
 
2016年2月21日(日)
  メール遠方より来る           0.054μSv/h      



 早朝、30年以上前からメールが届いた。

 僕がまだ33歳を過ぎた頃、2人の音楽家とミュージカルを創って上演した。

 S・Yさんと、奥さんのNONOさんだ。

 ミュージカルは1作目が「蜜の味」(シーラ・ディレーニィ原作)、2作目がオフ・ブロードウェイのミュージカル。

 「蜜の味」は映画で有名です。

 戯曲「蜜の味」を歌詞に起こし、さらに曲を加えるという無謀なことができたのは若気の至り・・・

 今考えると、あの頃はただ熱くなって、後先を考えなかったなあ。

 人生のいい時期と言えるのでしょうか。

 それとも1歩間違えば大火傷して、大きな負債を背負って、芝居をやめなければならない。

 ま、それをやりきったから今の自分があるわけで・・・やれなかったら今の自分はありません。

 ま、興業は博打のようなもんです。

 その博打に作曲家のお2人が付き合ってくれた。

 S・YさんとNONOさんは僕の人生のある時期の戦友かな。

 博打といえばル・クレジオが書いた小説「パワナ~クジラの失楽園」も劇化しました。劇場は両国のシアターX(カイ)。

 そのクレジオさんが2008年にノーベル文学賞を受賞した時にはびっくりしたあ!
 
 クレジオさんからいただいた手紙は僕の宝物です。
 
 
 
2016年2月18日(木)
  急転直下           0.054μSv/h      



 今週の初めはすごいいいことがあった。

 まず、8月末のITP(いわき演劇プロジェクト)公演の演目が決まったこと。

 蓬莱竜太さんが書いた「まほろば」です。

 これは女性6名だけの芝居で、大いに笑える作品です。

 結構なひねりもあってなかなかに面白い。

 ま、岸田國士戯曲賞受賞作品だから面白くないわけがないか。

 でも、足りないんです、役者が・・・どうすんだよう・・・4月から稽古だぜ。

 次回作とその次の戯曲と、すでに書く当てはあるのに、役者がいないという・・・これがいわきの現実だ。

 あ、公演資金もない!・・・これが今の現実だ

 さて一昨日、事故を起こした第一原発から20キロほどにある広野町に行ってきた。

 この町は帰還が解除された。でも、町民はあまり戻らない。

 それでも避難先から戻られた中学校時代の恩師を頼みにして、どこかに大きな倉庫があるか聞いていただいた。

 「時の物置」と「愛と死を抱きしめて」の装置が2か所に分散して置いてもらっている。

 しかし、そろそろ片付けねばならない。

 そんな時、恩師から広野町に大きな工場跡があると言ってきたのだ。

 早速見に行った。

 板金工場は広々としてかさばる装置を置いておくのは都合がいい。
 持ち主の親切なお婆さんも使用を許可してくれた。

 万々歳!

 すぐにITP代表のT君の所に行って報告。

 これでT君も僕も一安心、鼻歌交じりで帰路についた。

 いいことがあった夜はワインもすすむ。

 でも、昨日の朝お婆さんから電話があった、御断りの。

 ガーン!

 急転直下・・・地獄に落ちた!
 
 
 
 
2016年2月10日(水)
  音楽劇「あらしのよるに」     0.062μSv/h      



 6日・7日と泊りがけで東京に行ってきた。

 としま未来文化財団の「レッツ・エンジョイ・JAA」という区民参加によるアートステージが行われたのだ。

 JAAとはジュニア・アーツ・アカデミーの事で、子供たちが狂言・日舞・音楽・演劇・ダンスの各コースに分かれて学びながら楽しむと言うものである。

 この日は各コースの発表会が豊島公会堂の舞台上で行われた。

 狂言のコースが10名で「口真似」と「茸(くさびら)」の公演。

 日舞のコースが18名で「汐汲」「菊づくし」「越後獅子」を踊り。

 音楽・演劇・ダンスのコースは合計82名の大所帯。

 音楽劇「あらしのよるに」に挑戦した。勿論、主役のガブとメイは子供たちではできない。

 オオカミのガブは若い声楽家、ヤギのメイは現在声楽を学んでいるJAAの卒業生にお願いした。

 僕が演出である。

 子供たちの年齢層も小学生の低学年から中学生までなので、かなり幅があって面白い。

 しかも、チームによって特色がある。

 ダンスチームはよく動く。音楽チームはのびにび。演劇チームはちょっとお姉さん。

 3チーム合わせて82人の大所帯だ。

 稽古の時はのんびりでも、本番になって家族や仲間が観ていると大いにやる気になる。

 ま、子供は本当に本番に強いね。

 1時間の公演、子供たちには相当辛いだろうが、立派にやりきった。

 終了後はそれぞれのチームに分かれて修了式。

 修了証書は何の役にも立たないが、これを見て仲間のことや、この数か月間の頑張りを思いだしてくれるだろう。
 
 
 
2016年2月3日(水)
  雪やコンコン その2     0.060μSv/h      



 先月の30日、いわき地方は大雪.。11時から池袋で音楽劇の稽古。なのに家から出られない!

 さあ、どうする?

 始発の特急は6時24分、泉駅発です。悪いことに自宅から泉駅までは歩ける距離ではない。

 車でも20分はかかる、しかも大雪、最悪なのは急坂。

 タクシーを呼びました。そのタクシーも家に到着するまで30分もかかった。

 始発の特急に間に合うか?いや、タクシーがこの坂を登れるか?

 さすがにタクシー、乗せた客は手放しません。車体を揺らしながら強引に坂を駆け上がる。

 大きな道路に出ると、轍(わだち)が路面に残っていて、その轍を軽快に走ります。

 これならば時間に間に合いそう、と思った途端、急にスピードが落ちた。

 前の軽乗用車が車体をふらつかせながらおっかなびっくり走っている。

 スタッドレスタイヤくらい履きなさい!

 発車時間はコクコクと迫る。軽はノロノロと走る。僕は内心イライラしながらも、運転手さんの手前ニコニコと引きつった笑顔を作る。

 結局、発射10分前に泉駅に到着。切符も買えました。

 車窓から見る外界は雪に埋まっています。

 でも、水戸を過ぎると雪などありません。

 無事、池袋の仕事場に到着。大変な朝でした。

 
 
2016年2月2日(火)
  雪やコンコン その1     0.063μSv/h      



 先月の30日、いわき地方は大雪だった。

 妙なことに、そんな日ほど用事がある、しかも遠方で。

 その日は東京で大雪警報が出てたんじゃなかったのかい!

 みんなに聞かれる、いわきって相当雪が降るんでしょう。

 降りません、ほとんど!雪深い会津地方といわきを一緒にしないで。

 会津は東北、いわきは関東ですから。と昔は見栄を張っていた。

 関東の一番北に位置します、とも言っていたな。

 ところが、30日は大雪だった。

 朝、4時に起きて外を見たらすでに10センチほどの積雪だ。

 テレビに映る東京はノー積雪。すわ大変だ、と高速道路の情報を検索してみた。

 50キロ規制!途中はチェーン装着!?

 高速バスで上京しようと思ったのに、低速バスでは時間に着けない!

 電車の運行状況は順調。こんな時はみんなが特急に流れる。

 よし、始発の特急ひたちに乗ろう!

 で、あたふたと支度して自家用車に乗り込み、連れ合いの運転で門を出ました。

 自慢じゃないが、門を出るとすぐに坂、つかこうへい・作「蒲田行進曲」のラスト、ヤスの階段落ちの階段よりも急です。

 そこに10センチも雪が積もっている。

 門を出て曲がろうとした途端、車輪がスリップ、車体がクネクネ、どうしても進めません。

 やばい!やばい!と叫ぶばかりです。

 11時から池袋で音楽劇の稽古。なのに家から出られない!

 さあ、どうする?
 
 
 
2016年1月27日(水)
  いわき演劇プロジェクト始動     0.077μSv/h      



 ITP(いわき演劇プロジェクト)の稽古が先週の水曜日から始まった。
 11月初旬の公演「愛と死を抱きしめて」から約2か月たっている。

 あの公演の稽古はかなりハードだった。そのせいかしばらくはお休みしたいと言う人もいた。

 それもそうだ、仕事をし、家事をこなし、子供の世話をして、それで稽古に通う。

 プロの俳優でもアルバイトをしながら稽古をする人もいる。

 でも、家族の顔色を見ながら稽古に出るのはなかなか大変だ。それに、現在の雇用状況は残業も多くて大変らしい。

 若者には派遣の人も多い。
 
 僕も彼らがいつ稽古場に入って来るのか、ドキドキして待っている。
 
 就業時間は決まっているが、時間通りに終わることは滅多にない。
 
 しかも、田舎は車社会だ。一家に数台、大人の数だけ車が並んでいる。

 だから、帰社はすごく渋滞する。

 久之浜に住んでいた頃は電車で平の稽古場に通っていたから、渋滞がピンとこなかった。

 でも、金山町に転居して、相方の車で稽古場に通うようになったら、必ず渋滞にはまる。

 稽古場に着く時間も遅れることが多い。

 よく「○○時間」と言って、田舎の人は集合時間に必ず遅れるが、いわきの場合は渋滞だと納得した。

 とにかく稽古が始まった。ぼちぼちでも楽しい。
 
 
 
2016年1月23日(土)
  びっくりポン2        0.076μSv/h      



 ITI(国際演劇協会)

 で、そこが「The World of Theatre」という雑誌を発行するという。
日本の演劇事情を英語とスペイン語で。

 原発事故3部作「東の風が吹くとき」と「愛と死を抱きしめて」の活動を載せるというのだ!

 でも、困った!題名を英訳してくれとおっしゃる。

 自慢じゃないが、英語なんてわかる玉かい。

 仕方なく、ITP(いわき演劇プロジェクト)代表のT君にふったら・・・

 日本語も満足にできませんときた。

 これはどうにかしなければ・・・で、気付きました、うってつけの人物がいる!

 高専で英語を教えているI先生です。

 i先生はシェークスピアを研究していて、原書で読んでます。

 で、快く英訳してくださった。

 「東の風が吹くとき」=When the East Wind Blows

 「愛と死を抱きしめて」=Embracing Love and Death
 
 でも、これでは何についてなのかわからないので副題をつけてくださった。

 Chronicle of a Woman in Fukusima=「福島のある女の年代記」だそうです。

 副題の方がかっこいい!

 次に、いわきPITでの僕の肩書きである劇場監督を英訳してくれと言う。

 で、これもお願いしました。英語なんてわかる玉かい!

 Theater Director・・・

 今度から、Theater Directorの高木です、と名乗っちゃうかな。

 まあ、英語に翻弄された1週間でした。
 
 
 
2016年1月23日(土)
  びっくりポンや!        0.065μSv/h      



 いやあ、人生いろんなことがあるようで、こんな事も起こるんだなあ、という1週間だった。

 まず、突然ロンドン在住の演劇ジャーナリストのK・Iさんからメールがあって、面識がないのでびっくり。

 つぎに内容を読んで2度びっくり。

 この方はロンドン大学ゴールドスミス校演劇学部で日本演劇の博士論文を書いているそうです。

 それで、僕が取り組んでいる原発事故3部作の「東の風が吹くとき」と「愛と死を抱きしめて」を研究材料にしたいとのこと。

 早速、戯曲をメールに添付して送りました。

 あちらの方々に少しでも福島の現状をわかってほしいものです。

 更に起こったびっくりポン!

 それはITI(国際演劇協会)からのメール。

 なんでもITIは、教育・科学・文化の発展を目的とする国際連合の専門機関「ユネスコ」の舞台へ医術部門を担当する国際組織として計画され、1948年ユネスコ総会において創設されたようです。

 そんなことちっとも知らんかった。

 で、そこが「The World of Theatre」という雑誌を発行するという。

 その雑誌は世界各国の演劇事情が載るという。しかも、英語とスペイン語で。

 日本の演劇事情の紹介には原発事故3部作「東の風が吹くとき」と「愛と死を抱きしめて」の活動を載せるというのだ!

 でも、困ったことが起こってしまったのです。
 
 
 
2016年1月20日(水)
  東京出張        0.065μSv/h      



 今日は打ち合わせのために東京出張。

 照明のMさん、声楽家のYさんに会ってきます。楽しみです。

 ところで、上の放射線の表示が小さくなっているのに気が付きましたか。

 去年、事故があった原発から30キロの久之浜の家で測った時は0.117μ㏜/h。
 久之浜から金山町の借家までは約35キロだから、原発からだと65キロ離れています。

 金山町の借家内で去年は0.073μ㏜/hありました。

 1年でわずかに0.01μ㏜/hの減少。それでも救いです。
 
 
 
2016年1月19日(火)
  復活        0.066μSv/h      



 前のブログからもう1年近くたってしまった。

 去年の3月にこのブログを上げているサーバー運営会社からメールがあって、会社を止めるので違うサーバーに移ってほしいとのこと。

 慌てて人を頼み、その彼も努力してくれたのだが、結局うまくいかんかった。

 ええい、もうやめよ!と腹を立ててそのままになってしまいました。
 まったくパソコン音痴はどうにもならない。

 でも、捨てる神あれば拾う神もある・・・
 ありがたや、ありがたや!

 友人の旦那さんがパソコンの手練れであっという間に解決!
 またまたブログで近況を報告することができます。

 去年1年は怒涛の年でした。

 5月ーITPいわき演劇プロジェクト「時の物置」公演(演出)

 7月ーいわきPIT開場にともなう「オープニングアクト」(演出)

 8月ー「キッズフェスティバル」いわきPIT(演出)

 8月ー音楽劇「あらしのよるに」(演出)

 9月ー群馬オペラ「みづち(演出)

 9月半ばから10月ー過労にともなう気管支炎

 11月ーITPいわき演劇プロジェクト「愛と死を抱きしめて」公演(作演出)

 11月ー国民文化祭かごしまで鹿児島オペラ協会「ミスター・シンデレラ」公演(脚本担当)

 ITPいわき演劇プロジェクといわきPITにかかわって駆け抜けた1年でした。
 
 
 
2015年2月24日(火)
  一難去って        0.073μSv/h      



 2015年、新しい年!

 と新年のブログを書いた途端、2月になっちまったい!しかも、もう24日だわい!

 2月3日に同じいわき市内の金山町に引っ越しました。

 海岸に沿って縦に長~いいわき市の北の果てから、南の果てに引っ越したって感じ。

 久之浜は事故った第1原発から30キロ、この辺りは80キロくらい離れているから、上記の室内の放射線量は極めて低い。

 1戸建てがずらりと並んだ団地の一角に我が家はあります。

 築40年くらいの2階建て。連れ合いが一生懸命片付けて、やっと住めるようになった。

 で、僕は何をしていたかというと、週1回2回の東京行、これは豊島区のワークショップと江戸川区のミュージカル指導。

 いわきでは、週3回のいわき演劇プロジェクトの稽古と週1のいわきPITの会議。

 いわきと東京を往ったり来たり・・・

 先週の日曜日、豊島区のワークショップを終え、やれやれ特急ひたちで帰るか、と思ったら常磐線は強風で止まってる!

 それでも午後6時発は14分遅れで発車。

 で、降車駅の植田駅に到着したのは夜中過ぎの0時20分頃。

 いつもは2時間のところ6時間もかかった!さらに同じ週の土曜日・・・

 土曜は、午後1時半から4時まで江戸川少年少女合唱団の指導、5時の特急に乗って7時半からいわき演劇プロジェクトの稽古。

 その特急も1時間半遅れました。

 まったく、一難去って・・・です!

 だから週初めの月曜はぐったり、1日中ゴロゴロman。

 そんな時、懇意にしていただいている評論家のEさんから沢山の演劇関係の本が届いた。

 ありがたい!演劇関係の本はいわきPITのどこかに展示しようと思っています。
 
 
 
2015年1月1日(木)
  いつものよう~に日が昇~り ♪   0.117μSv/h      



 2015年、新しい年!

 と力んでも、何ら変わったことはないし、変わったことをしてもいない。

 久之浜ワールドは破壊されたままだし、問題は山積みだ。

 それでも、新しい年は明ける。元旦に青空が広がると、さあ洗濯だ!という気分にさせる。

 晴れがましい日なのに、そんなことかい!

 と、自分で突っ込んでみる。

 去年の元旦と今年の元旦、どこが違うの?

 つらつら考えてみると、残された人生を歩む相棒ができたということか・・・

 僕と相棒と愛猫リアン、元気で寿命をまっとうできればOKよ!

 で、今年前半にやることを列挙してみた。

 新作、「愛と死を抱きしめて」を書き上げること。

 3月のとしま文化財団のワークショップ発表、江戸川区少年少女合唱団の音楽劇「あらしのよるに」の演出。

 同時進行で、いわき演劇プロジェクト公演「時の物置」の演出と稽古。これは5月の半ばにいわきアリオスで上演されます。

 また同時進行で<いわきPIT>の劇場開場準備と夏に向けたオープニングイベントの準備。

 今年の前半は怒涛のような忙しさです。

 皆様もお元気で、幸せな1年をお過ごしください。
 
 
 
 
2014年12月31日(水)
  大阪へ その2          0.134μSv/h      



 さて、大阪行きのお話です。

 前回は13日、高速バスで朝の7時半ころ大阪駅に着いたところまで。

 当日は日曜日、駅構内は遊びに出かける家族連れや様々なグループで大混雑。

 日曜の東京駅といったところでしょうか。

 ところが、寒い!寒い!大寒い!

 寒気団が関西地方にも下がってきて雪になる予報です。寒くて歯の根が合わない。

 ホテルは原則3時がチェックイン、まだまだ時間がある。

 広~い構内をうろうろ、まるで迷路です。開店しているのは・・・

 時間つぶしの茶店・・・満杯!朝食がとれるレストラン・・・開いてない!

 立ち食い蕎麦ならあるだろう・・・一軒も見つからない。

 どうする?・・・途方に暮れました。

 で、大阪ステーションシティの案内図を見た。勿論、中にあるデパートやレストランはまだ開いてないない。

 でも、ありました、11階にシネマが、映画街が!

 早速11階まで急行。

 開いてた!温かい!助かった!

 で、一番最初上映の戦争映画「フューリー」を観た。

 でも、こんな時の時間経過は遅いんだあ。

 映画の後は、ホテルまで行く乗換駅の古いアーケード街をウロウロ。新橋筋商店街というそうです。

 古~い喫茶店に入ったら、入り口近くに銭湯の番台みたいなのがあって、そこにおかみさんらしき御婆さんが座っていました。

 ま、現在のレジといったところでしょうか。

 さて、お芝居です。

 いわきから飛行機!で来た4人の仲間と見ました。

 昨年の秋、僕が書いて演出した「東の風が吹くとき」です。

 大阪の「劇団きづがわ」は芸達者な役者さんが揃っているためか、なかなか面白かったです。

 それにしても南東北のいわきと関西の大阪とでは感覚がちがうのですね、とても勉強になりました。

 でも、観客の反応は東も西も同じでした。あちこちからすすり泣く声が聞こえて・・・思わずもらい泣き・・・

 終演後、演出のHさんご家族と歓談、とても仲の良い、楽しいご家族でした。

 いやあ、大阪まで行ってよかった。

 で、帰ってからふと気づいた。大阪らしいものを食べよう、串カツもタコ焼きも、お好み焼きも、フグも・・・

 なんて意気込んでいたのに、食べたのはコンビニのおにぎり、立ち食いうどん、お惣菜の居酒屋、ホテルの朝食。

 盛岡でも期待していた三大麺を食べられなかったし、食には縁のない1年でした。

 
 
2014年12月16日(火)
  大阪へ その1          0.122μSv/h      



 ふっと気づいたら、もう12月も半ば。

 ふっと我に返ったら、このブログも1か月半も書いてなかった。

 忙しい、忙しい、忙しい・・・

 原稿書きやら、東京でのワークショップ、さらにいわきPITの様々な折衝と宣伝。

 昨日も1日中、M君の車で劇場支配人のHさんと一緒に、「みんぷく(3・11被災者を支援するいわき連絡協議会)」や「社会福祉協議会」、「地域福祉ネットワークいわき」を訪ねてきた。

 夕方には「いわき市民コミュニティ放送・SEA WAVE FM いわき」で収録。

 チームスマイルシアター/いわきPITの趣旨やプログラムなどをお話した。

 12月26日金曜日の朝7:12~と夕4:45~からFMいわきなどの県内FM放送局からオンエアされる。

 インターネットの同時放送(サイマルラジオ)や記録放送(アーカイブ放送)でも聴けるそうです。

 そんな中、12日の夜出発の夜行高速バスに乗って大阪に行ってきた。

 大阪の劇団きづがわが僕の戯曲「東の風が吹くとき」を上演したのだ。

 公演に関係したいわきの人たちも、飛行機で行く。

 飛行機に乗れない僕は、いわきから京都大阪行きの夜行高速バスに乗った。

 夜行高速バスに乗ったのは東京から萩に行った時以来だから10年ぶり位だろうか。

 あのころはまだ若かった・・・

 で、いわき駅前を夜8:45に出発。

 首に巻く空気枕を買っておいたから、備えは万全です。久しぶりの体験に少々興奮気味。

 乗車した途端、窓には厚手のカーテンが張り巡らされて外は見えません。

 外が見えれば哀愁も咸じるのに、と思いながら着席。

 バスの中は、さあ寝ろ、さあ寝ろ、一色なのです。

 乗客で多いのは、やはり大学生風の団体さん、金曜の夜出発のせいか観光に行くおばさんグループ、ビジネスマンの姿も見られます。

 やはり金曜日の夜、満席です。

 僕の前の席には禿げ上がったおじいさん。僕より少々年上でしょうか。アイマスクを着けて寝る気満々。

 その時、なんか嫌~な予感がした・・・

 夜行バスで1番嫌われるのはいびき!

 で、2番目が、いるでしょう、外を見ようとしてカーテンを細めに開け、そのままにしちゃう人。

 そこから差し込む街灯の明かりが、暗い車内をすごいスピードで通り過ぎていく。

 一晩中、いびきと飛び去る明かりで閉口しました。

 驚いたのは、そのお爺さん、大阪駅に着く直前、目を覚ましたこと。たっぷり眠れたんだ、きっと!
 
 

 
 
2014年10月30日(木)
  盛岡へ 語り部登場 その3      0.124μSv/h      



 さて、盛岡での仕事、17日午後2時から語り部の登場です。

 
その前に・・・僕は緊張をほぐしてもらおうと、連れ合いは痛む肩を楽にしてもらおうと・・・健康器具のマッサージ機に足を載せたのがいけなかった。

 全国介護老人保健施設大会なんだよ、専門家が集まってるんだよ、そこで実演販売している機械が悪いはずはない。

 いいこんころもちです・・・

 快感からはっと我に返って、周りを見渡すと介護の関係者らしき人たちが、マッサージ機に足を載せて恍惚の表情。

 何人かは契約までしてる。

 関係者も認める機械、しかもきわめて優れものだ・・・でも、高い!だが、椅子のマッサージ機よりは相当安い・・・

 結局、恍惚に流されて買ってしまった!!

 で、2時からはやっとやっと語り部の出番です。

 2011年3月11日14時46分からの自分の避難行を語りました。

 震災の日、津波から放射能からどう逃げたのかを。

 あの時、原発の近くには病院と老人介護施設が3つありました。

 近い順に「双葉厚生病院」「双葉病院」。この二つは原発から5キロ圏内。22キロにある「高野病院」。

 「双葉厚生病院」は12日の夕方には避難が終了したが、第1原発の水素爆発が起こり、最後に避難した人たちの上に原発建屋の断熱材が雪のように降った。

 「双葉病院」は避難が16日までかかり、過酷な避難のため50名近くの人たちが亡くなった。

 「高野病院」は避難しなかった。

 そんなところから始めた。

聞き手は病院や介護の関係者です。患者やお年寄りを抱えての避難行は大変だと言うことは分かっている。

 30名ほどの関係者が放射能避難の話をじっくりと聞いてくれました。

 その話をご所望の方は、このブログの2011年4月か5月あたりに書いてますよ。

 で、この話の中で・・・

 避難行を終えて川崎の自宅に戻った僕は、15日早朝の電話で起こされ、再びいわきに向かうのですが・・・

 僕が「安藤病院から電話があった」と言った瞬間、前列に座っていた中年の御婦人が先に・・・

 「天ちゃんだ!」

 と大声で言ってしまった時は苦笑してしまった。

 オチを先に言わないでくださいな。

 で、語りの後、その御婦人が近づいてきて、原発近くから彼女の町に避難してきた女性の方の話を聞かされた。

 それは「鼻血が出た」という話だった。

 鼻血・・・漫画での騒動を思い出す。医者や科学者は一笑に伏したが・・・

 経験者はどんな思いで鼻血を受け止めたのだろうか。

 そして、この経験をいつまで背負わなければならないのだろう。

 夜の9時過ぎ、たくさんのお土産を抱えて自宅に戻った。

 途端に、リアンが甘い声を上げながら体を摺り寄せてくる。僕はリアンを抱き上げた。

 温かいその体はすっぽりと僕の胸におさまった。


 
 
2014年10月28日(火)
  盛岡へ 語り部登場 その2      0.124μSv/h      



 さて、盛岡での仕事、17日11時から語り部の登場です。

 
と思っていたら、登場は午後2時から。やばい、3時に終わるから、これではお土産を買う時間がない。

 で、行きました、駅ビル・フェザン1Fにある「おでんせ土産館」へ。

 仙台の牛タン横丁のようにお土産屋がずらりと並んでいる。でも、すごい人出です。

 金曜日、平日なのに・・・で、気付いた。

 そうか、全国介護老人保健施設大会なんだ、全国から介護士や介護にかかわる人たちが来てるんだ。

 最終日だから、帰るためにお土産を買ってんだ!

 僕らも7個くらいのお土産を買わなければなりません。人出の激流に身を任せて、いざ、出陣。

 まず、いつもブドウを送ってくれる甲府のYさんに岩手の地酒を。

 と思ったら、連れ合いは八百屋の前で品定め。

 何してんの?と僕。春菊選んでんの、と連れ合い。

 ええっ、盛岡まで来て春菊買うか、お土産にするか、と僕。

 それでも連れ合いは頑として動かない。

 このままでは時間がない、と思った僕は日本酒店へ一直線。

 でも、すごい種類です、ものすごい数です!

 悩んでいてもしょうがないから、店主にアドバイスをいただく。買ってからが面倒なんですよねえ、送るのって。

 携帯アプリの住所録を何とか読み取ろうと目を細めて・・・その間にも携帯の呼び出し音が鳴り響く。

 きっと連れ合いだ、どこにいるのメールだ、と思いつつも携帯アプリの住所録から書き写すのが先行。無視、無視・・・

 その後、春菊を抱えた連れ合いと合流して買いました、南部せんべい。

 様々な種類があって、いわきで市販されているものはピーナツ入りかゴマいりだが、りんご入りや、チョコレートでコーティングされたまん丸のチョコ南部なんてのもある。

 ごっそり買いました南部せんべい。もうひとつ、渋皮がついた栗のお菓子と洋菓子も。

 すごい量です。で、それを駅のロッカーに預けて、再び県民情報交流センター(アイーナ)へ。

 語り部登場の時間にはまだ間があります。そこでロビーに並んだブースのひとつ、健康器具のコーナーに目が止まった。

 ずらりと椅子が並んで足元にはコンパクトなマッサージ機が。

 僕も連れ合いも長旅と慣れないホテルのベッドで体が悲鳴を上げています。

 その目の前に「さあ、いらしゃい!」とばかりマッサージ機がおいでおいでをしています。

 連れ合いなどは首が痛いと言っていた・・・

 よし、ちょっとかかってほぐしてもらおう、20分ほどならいいや。

 そう安易に考えたのがいけなかった。座った途端、寄ってきました、販売員が。

 でも、買わなければいいんだから。そう自分に言い聞かせてマッサージ機に足を載せた・・・

 
 
2014年10月26日(日)
  盛岡へ 語り部登場 その1      0.124μSv/h      



 さて、盛岡での仕事、17日11時から語り部の登場です。

 題名は「放射能に追われて」
。2011年3月11日、久之浜町で津波から逃げ、12日夜からは原発事故の放射能から逃げたことを語ります。

 場所は盛岡駅西口近くにある「いわて県民情報交流センター(アイーナ)。盛岡駅の東口、北上川が流れる旧市街とは違って繁華街などはありません。

 盛岡市民文化ホールと道を隔てて並ぶでっかいビルです。

 四角いビルの上に、さらに大きな、正面が凹面の曲線のビルが乗っている。それがすべてガラスで覆われている。

 これでもびっくりなのに8階までの吹き抜けです。お金持ちだねえ、岩手県。

 全国介護老人保健施設大会ですから、各階に介護の関係者がたっくさん、様々な宣伝ブースや実演販売まである。

 さらに驚いたのはアイーナ各階の内容。

 1Fは運転免許センターに食堂など、2Fはパスポートセンターと住宅相談、3Fは県立図書館・・・でかい!

 4Fは図書館と視聴覚障がい者情報センター、カフェとスタジオ。

 5Fは様々な交流センターとギャラリー。

 6FはNPO活動・青少年活動・子育てサポートの各センター。また男女共同参画センターと高齢者活動交流プラザ。

 さらには、子育てサポートルーム、団体活動室、世代間交流室と様々な練習室まである。

 6Fはアイーナホールをメインに岩手大学の教室やリハーサル室に会議室。

 7Fは多くの会議室に研修室です。

 いわきにもこんな市民に優しい施設があればなあ、老若男女たむろっちゃうのに、せっせと交流しちゃうのに、と思いつつ指定された6Fへ。

 ここの世代間交流室で語り部の震災体験が語られます。岩手の方・宮城の方、そして僕は11時からのスタート。

 語りは1時間くらいだから12時には終わる。そしたら昼飯に美味しい冷麺を食べ、ゆっくりお土産を買いましょう、僕も連れ合いもそう思っていた。

 ところが係りの方が怪訝な顔をしている。慌てて出て行き、慌てて帰ってきたら、僕の前に来て・・・
 
 「あのう、高木さんは午後2時からなのですが・・・」

 げっ、間違ってた!

 終了は3時、帰りの新幹線までちょとした時間しかない。

 しょうがないので主催からいただいたお弁当を食べました、冷麺を諦めました。

 でも、3時に終わって、新幹線に乗るまでお土産を買う時間がない!

 駅ビルはすぐそこ。昼ごはんもそこそこに出かけましたよ、お土産買いに。

 
 
2014年10月24日(金)
  盛岡へ 語り部満足      0.142μSv/h      



 さて、盛岡です。お待ちかねの夕食はネットで調べた名物酒場の「南部藩酒場」へ。

 人1人がやっと通れる木戸口から、くぐるように屋内に入ると、そこはもう煤で真っ黒の古色蒼然とした古民家。

 靴を脱いで上がると、ひろ~い畳敷きの広間がある。

 広間にはコの字にカウンターが回っていて、中では炭が赤々と燃えている。

 そうか、そうか、ここで干物を焼いちゃうよ~、岩手牛もあぶっちゃうよ~、と誘っているのね。

 どんどん注文しなさ~い、お金つかいなさ~い、と言っているのね。
 で、広間の周りは、これまた昔の農家にあったような障子に囲まれている。

 以前、見ました、こんな家。そう、川崎市の向ヶ丘遊園駅下車から徒歩15分にある日本民家園で。

 開店直後に入店したためか、僕らが初めての客。

 カウンターの真ん中に2人ならんで座る。

 目の前のカウンターには御膳が置いてあります。

 店員さんが来て何か言っているのだが、岩手弁なのでチンプンカンプンだ。

 どうやらこれが最初の<おもてなし>らしい。

 いかにも岩手にいると気付かされる演出だ。

 その後、標準語で「温かいおしぼりがいいか、冷たいのがいいか」言ってくれた。

 まずは生ビールで乾杯。

 注文は、秋刀魚とホヤのお刺身。ホヤの酢の物は東京でもよく食べたが、お刺身は初めてだ。

 嫌がる連れ合いを説得して強引に注文。ん?強引では説得したことにならないか・・・

 それから炭火で炙ってもらいましょう、鮎の干物。

 ホヤのお刺身、これが絶品!癖があるかなと思ったが全然ない。連れ合いもパクパク食べてました。

 新鮮なのは生でも美味しんだね~

 鮎の干物は背開きです。やはり、南部藩があった土地柄、腹開きでは切腹をイメージして駄目なのでしょう。

 お酒は生ビールを手始めに、次は柿の葉茶を漬けた焼酎。

 岩手県は日本酒の宝庫、聞いたこともない地酒がずらりと並んで、「お飲みなさいよう~」と誘惑している。

 駄目です、明日は語り部、二日酔いはダメダメ~

 その後はせんべい汁と地ビールでしめました。

 やはりいいなあ、盛岡!
 
 
2014年10月20日(月)
  盛岡へ 語り部登場      0.136μSv/h      



 東京・豊洲でチームスマイルの豊洲PITの内覧会が行われた次の日、盛岡へ出かけた。

 第25回全国介護老人保険施設大会の多々ある催し物のひとつ、震災を語るというコーナーの語り部に選ばれたのである。

 推薦したのはもちろん友人のM君。

 題名は、と大会関係者に聞かれたので「放射能に追われて」とした。
 他の2名の語り部は釜石などの沿岸部からいらっしゃるので、津波のお話になる。

 だから、M君はいわき代表として原発事故のことを僕に話させたかったのだろう。

 盛岡と聞いて、頭に浮かんだのは宮沢賢治・・・・あとは出なくて、3大麺の冷麺・ジャジャ麺・わんこ蕎麦。

 これから出向いて大事な話をするのに不謹慎!

 と思いつつも、最初から堅苦しく悲哀たっぷりに話してたら、聴衆が引いちゃうぞ、と自分勝手に納得する。

 ま、そんな訳で、東京から帰った翌日、朝9時04分好間発の高速バスで一路仙台に、連れ合いとともに・・・向かうはずだったが・・・

 朝、いわき市内は環七並みの渋滞。これは好間に9時04分までには行きつけない。と思って、いわき駅の発着所へ急遽向かう。

 いやあ、乗れました、ぎりぎりセーフ!

 秋模様の山間を抜けて高速バスは東北道を走る走る。

 いやあ、すごいですね、仙台は!

 まるで東京。駅前には2階から広場がせり出し、遊歩道となって何本も町の方に通じている。

 道の先にはビルが林立。未来都市のようです。

 去年までは僕も東京に居ましたが、まるでお上りさんになった気分です。

 広場で一休みしていると、周りにはたくさんの外人さんと出張のサラリーマンが・・・

 昼飯を食おうと駅ビルのレストラン街へ。

 いやあ、びっくりした、牛タン専門店と寿司屋だけのレストラン街があるんだぞ!

 しかも、出張中のサラリーマンが仙台なら牛タンとばかり、どこの店にも列を作っている。

 僕は連れ合いと日本蕎麦をたぐった。この歳では2人とも牛タンは無理、若い人に任せましょう。

 で、13時54分のはやぶさで盛岡へ。初めて乗りましたはやぶさ。
 盛岡まで39分、あっという間です。

 盛岡駅はこじんまりとした、それでいて懐かしそうな感じの駅です。いや、改札を出ると並んでいるお土産が懐かしいからそう思うのかも・・・

 水量が豊富な北上川を右手に見てホテルに向かう。

 そして、お待ちかねの夕食はネットで調べた名物酒場の「南部藩長屋酒場」へ。

 美味しかったお話はまた次に。

 遊びに行ったんか!語り部の使命はどうした!と怒られそう・・・

     
 
 
2014年10月19日(日)
  東京へ 豊洲PIT開場      0.124μSv/h      



 15日、東京の豊洲でチームスマイルの豊洲PITの内覧会が行われた。

 いわきPITの劇場監督として僕もチームスマイルの一員、嬉々として上京した。

 新豊洲駅に到着、広大な豊洲の土地に巨大な劇場が見える。と言うよりは、現代建築か現代美術といった容貌の「箱」だ。

 正面には現代美術家・日比野克彦さんのデザインが描かれている。

 玄関前では<ぴあ>の方々が来賓の案内をしていた。そのなかにいわきPIT担当のUさんの顔も見える。

 僕の顔を見ると、笑って握手。

 劇場を造るのは自治体でも難しい。一般社団法人ならなおさらだ。
 一般社団法人チ-ムスマイルはあの震災の後、被災地の人々を元気付けようと、東北3県にエンタテエンメントの慰問を続けていた。

 だが、どうしても一過性にならざるをえない。だから、東京に豊洲PIT、福島県にいわきPIT、宮城県に仙台PIT、岩手県に釜石PITを造ることにしたのだ。

 そこまで話を進め、実現したチームスマイルの代表理事の矢内廣さんには頭が下がる。

 豊洲PITはスタンディングで3千人収容のライブエンタテエンメント専用の劇場だ。

 入場してみると、いかに大きいかがわかる。

 舞台上には大きなスクリーンが下がり、プロジェクターが美しい映像を映している。

 同じ映像が両脇に取り付けられた数台のテレビからも流れている。

 でっかい4Kテレビだ、映像がすごくきれいだ。

 館内でいわきPIT館長の箱崎さんにいわきのスタッフY君を紹介される。

 好青年だ。一緒に仕事するのが待ち遠しい。

 いわきの方々とも会った。

 親友のM君、副市長も含めた役所の方々、スパリゾートハワイアンズの社長さんたち経済人。

 みんな楽しそうだ。

 新劇場・・・様々な夢を描ける場所・・・様々な思いを実現する場所・・・

 これを見ていると、いわきPITへの期待がいやがうえにも膨らむ。

 内覧会後には、会を仕切ったぴあの方々と一緒に「お疲れパーティ」に参加。

 その席で、豊洲PITのスタッフも紹介された。これだけ巨大な劇場だから舞台スタッフも多い。

 東京駅発21時の高速バスで帰る。

 たくさんの楽しい夢を見た・・・
     
 
 
2014年10月9日(木)
  秋日和      0.131μSv/h      



 先月の30日、大阪からいらした劇団きづがわのお二人を案内して富岡・双葉と巡って来た。

 劇団きづがわは大阪のアマチュア劇団で、50年の歴史がある。

 そこが、僕の戯曲「東の風が吹くとき」を12月に公演する。

 原発を問題にした戯曲は昔の物から最近のものまで色々あるが、これが一番ぴったりした、とおっしゃていた。

 ありがたい!

 プロ・アマチュアを問わず、全国の劇団で「東の風が吹くとき」を上演して、あの時何が起こって、福島の人々が苦しんだか、理解してほしい。

 それにしても風化のスピードは驚くほど速い。

 あの事故の時、全国で原発廃止の声が上がったが、その声も今は聞こえるか聞こえないかだ。

 それほどに、福島も福島に暮らす人々も忘れられている。

 僕が放射線量測定機を持っているように、まだまだ放射能の脅威は解消してはいない。

 その放射線量測定機を持って、晴天の秋日和の1日、大阪からいらしたお二人と僕と、T君の運転で原発に向かった。

 まず、津波で破壊された富岡駅へ。駅舎は流されたまま、駅前のホテルも食堂も津波にやられた。

 勿論、放射線量が高いから無人の町だ。立ち入ることはできるが、住むことはできない。そのために手入れもされず、傾いて倒壊寸前の家が多い。

 次に桜の名所・宝泉寺へ。ここで線量計の針が2μ㏜/hに上がった。僕の家の庭が0.21μ㏜/hぐらいだからかなり高い。

 きれいな庭も雑草がぼうぼうだ。そこに行くと線量はさらに上がる。慌てて車に乗り込んだ。

 さて、国道6号線は今まで夜ノ森あたりで通行止めになっていた。

 その6号が仙台までつながったという。おそらく、国道だけ除染が終わったということだろう。

 当然、車外には出られない。

 6号国道は事故を起こした1F(福島第一発電所)のすぐ近くを走る。今回は劇団きづがわのお二人を乗せて1Fのすぐそばを通過してみよう、そう思ったのだ。

 居住が解除された広野町から、居住制限区域の楢葉町と富岡町を過ぎて大熊町に入る。

 この辺りは帰還困難区域だ。途端に線量が上がる・・・そして

 山の向こうに高い高いクレーンが見えてきた。ニュースで見慣れた1Fの光景が浮かぶ。

 測定器の線量は7.8μ㏜/h!車のなかでだ!

 僕たちは双葉町まで行かずにUターンして帰路についた。

 除染した道で、車内で測ったのに・・・もし、車外に出て測ったらとんでもない数値だろう。

 帰る道々、マスクだけの作業員がいた、警戒する警察官も2μ㏜/hのなかで立ち番をしていた。

 あの人たちは大丈夫なのか、気にかかった。

 
     
 
 
2014年9月21日(日)
  秋日和      0.131μSv/h      



 現在、いわきPITのプログラムと、その進行表を作っている。

 小劇場ではあるけれど、いわき市民の拠点、市民のための空間と考えると、その発想は無限だ。

 市民に様々なプログラムを提供することができる。

 そして、としま未来文化財団の子供のためのワークショップ、その朗読劇の台本書き。

 さあ、できた!と言えたら良いのだが、1日にちょっとずつちょっとずつ書いている。

 その合間に、新作の資料読み。今読んでいる資料は国会図書館でやっと手に入れたものだ。

 東京在住の友人に頼んで国会図書館でコピーしてもらった。

 あそこはなかなか厳しくて、著作権の問題から全部はコピ-できない。残りを次に行ってと思っても、同じ本を同じ人が2回コピーできない。

 友人は別人を装って2回コピーしてくれた・・・感謝!

 で、今日はぴっかぴかの晴天、穏やかな秋日和。

 つれあいと石川町に蕎麦を食べに行ってきた。自宅から90キロちょっと、山間はぽつりぽつり紅葉が見える。

 そして、山間を抜けると、突然黄金色の稲田が眼前に広がる。

 キラキラと輝いて本当に黄金色だ。

 東京に住んでいた時はショーウインドーを見て気付いた秋が、こちらに来てからは目の前に広がる。

 恵の秋・・・

 そんなことを考えながら一番粉の蕎麦を、白い細い蕎麦をすすった。

 うまかった!

     
 
 
2014年9月7日(日)
  上京      0.137μSv/h      



 先週の土曜と日曜に東京に行ってきた。

 土曜日は昼から浜松町駅でいわきPITの打ち合わせ。

 劇場の舞台設計もほとんど出来上がったが、使い勝手を求めてまだ<ああでもないこうでもない>とやっている。

 もし、理想の劇場を造れ、と言われたら広大な敷地と膨大な資金がかかるだろう。そう痛感した。

 そんな理想を夢見るよりも、現在の現実の中で最良の結果を出すこと、現実の条件の中での劇場造りを楽しむこと、それが大事だ。

 いわきPITを造るチームスマイルのUさんも設計事務所の方々も、あれこれ注文をつける僕に真摯に向き合ってくれる。

 思いは同じ。小さくてもいい劇場を造りたい!

 打ち合わせの後、浜松町のビジネスホテルに入り、夕方は月島に出かけた。

 月島と言えばもんじゃでしょう!月島といえば発声のS先生でしょう!
 
 研究所のS君と待ち合わせしていつものもんじゃ屋へ。

 すぐに講師のK嬢と前講師のH嬢が合流。もんじゃを突っつきながら飲み会開始。

 4人とも俳優養成に関わってきた同士なので、話がどうしてもそちらの方に向かう。

 いわきではそんな話はしないので、なんだか変・・・でも久しぶりに水を得た魚のようで、楽しい。

 さらに話は猫の方に・・・僕にはリアンがいるし、H嬢にはK嬢から譲り受けた2頭がいる。さらにK嬢は十数頭を飼っていた。

 食べるほどに飲むほどに、猫と研究生の話で盛り上がる4人・・・外側から見れば妙な集団だ、きっと。

 でも、このノりが懐かしい・・・

 2時間後、発声塾を開いているS先生と生徒さんと合流。

 生徒の中に、僕がいた青年座研究所の卒業生が混じっていたから、またその子たちの話になる。

 みんな、自分の夢をかなえるために頑張っている。

 若々しい、夢を語る、輝いている若者と話すのは、自分もエネルギーをもらえるようだ。

 思わず自分の年齢を忘れてしまった夜だった。

 翌日はとしま文化財団のワークショップ。1時間半の演劇の講習会だ。

 短いレッスンの後、12月に行われる発表会の演目をみんなで読んだ。

 メンバーは小学生高学年から高校生まで幅広い。

 帰りは東京駅から夕方5時の高速バスに乗った。

 8時半、車で久之浜町に入る。町の大半が津波の後の火事で焼失した。

 今は黒々と空き地が広がる。家の灯火もちらほらで寂しい。

 華やかな東京の夜から戻ってくると、妙な感じがする・・・
    
 
 
2014年8月24日(日)
  終わっても      0.145μSv/h      



 「高校演劇秀作戯曲公演」が終わったけど、またまた大忙し・・・

 2日後に、2泊3日の脳ドックに入った。

 6月のいわき市の健康診断で脳のMRIを受けたら・・・

 見つかってしまいました、右脳奥の血管にちょっとした狭窄が。

 で、僕、思わず聞きました、医者に・・・「そこは言葉をつかさどるとこですか、運動をつかさどるとこですか?」

 言葉が使えなければ物も書けないし、演出もできない。

 運動ができなければ体を使えない!

 答えはノウ・・・ほっとした・・・

 で、2カ月後の公演明けに脳ドックを予約したってわけです。

 火曜日、連れ合いに連れられて行きました、脳神経外科の病院。

 部屋は4人部屋だけど、僕が行った日に2人退院して74歳のお爺さんと2人部屋。

 このお爺さんは漁師さんらしく、しかも遠洋サンマ船の漁労長を務めていた人らしくて、すごく賢い方だった。

 次の日、TVを見てたら僕が住む隣町のサンマ漁船が火災にあったというニュース。

 そしたら彼が事細かに教えてくれた。出火する原因や、被害者が船のどのあたりに寝ていたか。

 おかげで退屈せずに済みました。

 脳ドックは1日目が、尿や血液、心臓などの検査。2日目が血管に造影剤を入れて、3Dで画像を撮る。

 3日目が先生の説明となっている。

 ただ、この2泊、書き物をしなければならず、いつものように夜中に起きて、というより目が覚めてしまうのだが、朝までPCに向かった。

 まさか、部屋でやることもできず、廊下にテーブルがあるコーナーで。

 最初は看護師さんも訝しげだったが、容認してくれた。

 3日目、医者の話はおとがめなし。良かった!

 で、次の日は東京に日帰り、渋谷の東急シアターオーブで「戦火の馬」を観てきた。

 良かった!

 で、昨日は、一昨日から遊びに来ていた連れ合いの小田原の友人を連れて、原発の立ち入り禁止区域ぎりぎりまで出かけた。
 
 彼女たちは、スパリゾート・ハワイアンのショーを観て、水族館のアクアマリンふくしまを観て、温泉に一泊。次の日に立ち入り禁止区域へ・・・

 今後、このメニューが観光メニューになったらどうしよう?!
   
 
 
2014年8月18日(月)
  終わった・・・      0.136μSv/h      



 「高校演劇秀作戯曲公演」が終わった。

 打ち上げは大盛り上がり。2つの高校の演劇部員が出ているので顧問の先生も同伴しての打ち上げだ。

 作品は2つ、趙清香さんが大阪市立鶴見商業高校3年の時に書いた「ROCK U!」と、いわき市の小名浜高校のI先生が書いた「明日は七夕」。

 16日の土曜日には鶴見商業高校の顧問の先生と生徒さんがわざわざ観劇に来てくれた。

 しかも夜行高速バスで!12時間も揺られて!

 せっかく来ていただいたので、友人のM君の車で避難地区まで原発被害の無人の町へ。

 作者の趙清香さんも夕方いわき入り。

 劇場はいわき総合高校の演劇実習室、つまり青年座のスタジオを2廻り小さくしたような劇場だ。

 普段は実習室として使用しているが仮設の舞台を組み立て、暗幕を張ると劇場になる。

 詰めて80名くらいの客席だ。

 最終日の17日は満杯。高校生は少ないが、大人で埋まった。

 研究所のS君もわざわざ東京から駆けつけてくれた。

 公演は大盛況と大拍手!

 「ROCK U!」の高校生たちは3回もカーテンコールをしてしまった。

 5月の連休明けから3カ月あまり。最初のころは学校別に固まってなかなか打ち解けなかったが、最後には和気あいあい、前からの友人のように打ち解けた。

 高校生たちは8時過ぎにはお迎えの車で帰宅。

 鶴見商業のみなさんも大阪行きの夜行バスに乗り。

 へべれけの僕は、スタッフの車に趙清香さんと同乗、趙さんをホテルに下ろしてから帰宅。

 家は虫の音に包まれて、すっかり秋模様。

 今年の夏は終わった・・・
 
   
 
 
2014年8月13日(水)
  忙中閑あり      0.133μSv/h      



 前に書いたブログから1か月がたってしまった。

 久之浜の片田舎に転居してのんびり暮らすはずだったのに、東京に居る時よりも忙しい。

 まず「高校演劇秀作戯曲公演」の稽古。そこに東京行きが割り込んでくる。

 この1か月で東京の仕事が4回。そのうちの1回は2日間ぶっ続けで神奈川高校演劇連盟の講習会。

 僕も講師を務めるが、ほかの数名の講師を選んで何を教えるか相談しなければならない。

 さらには講習会の主催者との折衝。

 書き物も結構あった。

 新劇場の企画などに関しては、多岐に渡るため、匍匐前進のように書き進めてもう少しで書き上げる。

 いわき民報の「演劇時評」は、エイコーン「アンナ・カレーニナ」と劇団1980「素劇・あゝ東京行進曲」。

 そういえば、創立60周年を迎えた劇団青年座の公演パンフレットに、昔のスタジオ公演の思い出も書いた。

 なかなか大変なのは、現在住んでいる久之浜の家を壊した後のこと。引っ越し先は決まったが、解体業者や建設業者を決めなければならない。

 さらに青年座からダンボール箱40箱分の本をいただける。演劇雑誌や文芸部の先輩方が残してくれた本だ。

 現在、戯曲の出版は皆無だ。さらに地方では、戯曲や演劇雑誌を置いてある店はない。戯曲を探すためには上京しなければならない。

 いただいた演劇雑誌にはたくさんの戯曲が載っている。いわきの演劇人に役に立ててもらいたいと思っている。

 なんやかんやで疲れすぎたせいか2度も整体にかかってしまった。

 さて、「高校演劇秀作戯曲公演」は14日から仕込み、16・17日の土日が公演。

 今日は「忙中閑あり」、1日休みだった。

 連れ合いと一緒に日帰り温泉に出かけた。

 人気のない休憩所で、長風呂の連れ合いを待ちながらビールを飲む、幸せなひとときだ。

 でも・・・手元の文庫本を見て、思わず苦笑した。

 「蠅の帝国~軍医たちの黙示録」(帚木逢生・著)

 こんな幸せな日に、なんで僕はこんな恐ろしい実録を読んでいるんだろう。
   
 
 
2014年7月13日(日)
  またあの恐怖が      0.137μSv/h      



 12日の土曜日、早朝の4時20分過ぎ、揺れた!

 僕は夜中の12時から仕事をして、4時には軽く食事をして、さあ二度寝するか・・・

 布団に入った途端、揺れた!

 でも、家は軋まないし、壁も揺れない、ただ土台が横にスライドしている感じ。だから、あんまり揺れていると感じない。

 そのうち、携帯は鳴り出す、Ipadもわめきたてる。

 慌てて、テレビをつけると、途端に地震警報が出た。震度4弱、震源は福島県沖!

 さらに久之浜町の各所に取り付けられている防災スピーカーも緊急情報をがなりたてる。

 津波警報が出た!

 僕は逃げ回る猫のリアンを捕まえてキャリーに押し込め、うろうろしているつれあいにキャリーを渡して、車を出させる。

 さらにデイパックにパソコンやらの大事なものを押し込め、家の鍵をして車に乗り込む。

 後ろの家からも車が2台、飛び出そうと身構えている。

 僕とつれあいとリアンは海の見える高台の道に走り上がって、そこに停車した。
 次々と車が高台に上がってくる。

 子供の手を引いた家族が徒歩で避難してくる。

 その間中、防災無線のスピーカーが避難を叫ぶ、海沿いの道を消防車やパトカーがサイレンを鳴らしながら走り回る。

 町はまるで蜂の巣を突っついたような騒ぎだ。

 その様子を、僕ら高台に避難した町民が身を乗り出すように眺めている。

 霧に覆われた海面、そこから朝日が昇ってきて、青空が広がって行く。

 今日は晴天、いい天気だ。

 それなのに僕らは津波の到来を恐る恐る待っている。

 1時間後、何も起こらず、僕らは家に戻った。

 午前9時から「高校演劇秀作戯曲公演」の稽古があったのだが、出演者のだれもがいわき市の中心部に住んでいて、津波のことなど話にも上らなかった。

 海岸部に住む僕たちが避難に大騒ぎしている時、海から遠い市内に居住している人たちは起きることもなかったのだ。

 これからも津波警報は出る、その度の避難、それが海辺に住む僕たちの宿命なのだろう。
 
   
 
 
2014年7月7日(月)
  親不孝      0.130μSv/h      



 現在、「高校演劇秀作戯曲公演」の稽古をしている。

 高校演劇の優れた戯曲を2本、いわき市内のアマチュア俳優と高校演劇のクラブ員が合同で公演する。

 高校演劇の戯曲でも大人と青少年が登場する。

 高校演劇では大人も高校生が演じるが、この公演では大人は大人が、青少年は高校生が演じる。

 ひとつは「明日は七夕」。市内の演劇クラブの顧問が書いたものだ。原発事故の放射能汚染で母と姉妹が北海道に避難した。

 お盆でいわきに戻ってきた母娘に父と祖母が帰郷を迫るという、現実問題を描いた戯曲だ。

 もうひとつは「ROCK U!」

 朝鮮高校から普通高校に転校してきた在日の女子高校生が日本人の高校生とケンカしながらも心を通わせていく物語。

 これは高校生の全国コンクールで優勝した戯曲で、僕も優れた作品だと思う。

 その稽古が佳境に入ってきた。ところが、佳境に入った途端に学校行事が・・・

 そのため、2週間も高校生の稽古ができなかった!

 稽古日は、木曜の夜が「明日は七夕」の大人だけの稽古。

 土曜日曜の午前は「ROCK U!」、午後は「明日は七夕」と大人高校生合同の稽古だ。

 しかし、一緒に稽古してみてわかったが、今の高校生は真面目だねえ・・・

 なんか・・・学校に縛り付けられているような感じ・・・

 自慢じゃないが、僕なんかとんでもない高校生だった気がする。

 僕が入ったのは進学校で、入学式の前から補習をするんだぜ、3年間で学ぶ教科を2年生で終わらせちゃうんだぜ。

 で、僕は入学前の最初の補習日に行って、それっきり補習には3年間まるっきり行ったことがありません!

 当然、成績はビリっけつ。

 両親も家業を継いでくれればいいと思っていたんだろうなあ、何も言わない。

 で、最後には・・・「芝居をやります!」だもの・・・

 親不孝な息子ですみません。

   
 
 
2014年7月3日(木)
  祝宴      0.123μSv/h      



 土曜日の夜、いわき市内のイタリア料理店で僕たちの結婚祝いが行われた。

 出席者は36名。小さなお店だから、いっぱいだ。

 お祝いに駆け付けてくれた人たちの年齢は60代から20代まで。

 すごく幅広い!そのほとんどが僕の関係者だ。

 いわき市出身とはいえ、18歳で東京に出て、63歳でUターン。その間、あまりいわき市に帰郷していたとは言えない。

 熟年のお兄様お姉さま方は「ほろすけの会」の方々。

 僕が絵本作家ブリッグスの「風が吹くとき」を脚色した時、青年座公演をいわき市文化センターに呼んでくれた。

 1988年7月20日のことだ。

 さらに、お兄様お姉さま方はいわき出身の演劇人を応援する「ほろすけの会」を結成。

 僕が関係した劇団クロニクルをいわきに呼んでくれた。

 作演出の「風の家」、脚色演出の「ウルトラマン昇天」だ。その後、青年座公演の「あの戦争」と立て続けにお世話になった。

 いわき演劇の会の合同公演「私の青空!」の演出も懐かしい。

 様々な劇団がひとつにまとまって初めての合同公演を成し遂げた。

 その中心になったのが30代から50代の俳優諸氏だ。

 彼らとはリーディング「明日~1945年8月8日長崎」、昨年いわきと東京で公演した「東の風が吹くとき」でも一緒に作品を創った。

 「東の風が吹くとき」で初めて演劇活動に参加した若者も来てくれた。

 ここに集まってくだすった方々は、これからのいわきの演劇界を一緒に充実させていく同志だ。

 過去、現在、そして未来と・・・これから皆でどんな絵が描けるか、すごく楽しみだ。

  
 
 
2014年6月18日(水)
  往ったり来たり      0.143μSv/h      



 ふたつ目は・・・結婚しました。

 で、つれあいのお姉さんご夫婦の家までご挨拶に行ってきた。

 目的地は千葉県の市原市。

 お隣は木更津市で、もう20数年前に市制うん十周年記念の市民ミュージカルを作ったところ・・・なんてことはどうでもいい。

 早朝4時に福島県いわき市久之浜町の家をつれあいの運転する軽自動車で出発。

 もち、カーナビも付いてます。

 近くの四倉インターから常磐自動車道に乗る。

 こんな早朝、しかもド田舎、車なんて走っちゃいません、高速は貸切状態。

 カーナビで高速を走るのは初めて、高速を乗り繋いで市原に行くのも初めての僕とつれあい。

 でも、カーナビがあれば怖くない!

 と言うことで、7時前には三郷ICから外環へ、そして千葉方面に向かう京葉道路へ。

 簡単なもんです

 ところが、しばらく走っていると、どうもサービスエリアの名前がへんです、おかしい・・

 岩槻、蓮田、加須・・・待てよ、ひょっとしてこれは東北道・・

 それでも、能天気な2人はどこかで千葉県に向かう道路に入るんだろうと思っていた。

 そして、カーナビを見ると、羽生ICで誘導する線が切れている。

 こんなことあるの、カーナビ君!目的地は千葉県の市原市だよ!

 でも、良く見ると誘導線が重なっている・・・と言うことは、羽生ICで下り線を下りて、再び上り線に入れって言うのね。

 正解!とカーナビ君が言ったかどうか・・・

 おバカな2人組は羽生ICで下りて、再び東北道の上り線に乗って東京方面へ。

 で、再び三郷ICから外環に・・・これで千葉まで行けるだろうと思っていたら、車窓は一変、下町の町並みに囲まれ、近くには帝釈天が・・・

 ええっ、高速で千葉まで行けるんじゃないの、カーナビ君?

 「行けません!これはお二人への試練です」

 カーナビ君の誘導は下町の細道をくねくね曲がりながら続いている。車も松戸・市川・船橋と行ってやっと京葉道路に乗れました。

 そして、市原ICを下りてお姉さんの家に到着したのが・・・11時!

 なんと、なあんと、7時間もかかってしまいました。

 カーナビ君、これは君の嫌がらせ?

  
 
 
2014年6月11日(水)
  劇的な      0.126μSv/h      



 前のブログから全然更新する様子も見せないまま1か月が過ぎてしまいました。

 僕のブログを楽しみにしてくださる少数の奇特な皆々様、すみませんでした。まだくたばっておりませんから、ご安心を。

 ご報告することがあります・・・

 ひとつ目は・・・先日新聞などで報道されました一般社団法人「チ-ムスマイル」の劇場構想です。

 これは「チ-ムスマイル」が東京の豊洲に立ち席3千名の「豊洲PIT(ピット)」をオープンさせるというもの。

 PITはPowe Into Tohokuという意味で、その言葉通りに岩手・宮城・福島の3県に劇場を建設して、東北を元気づけるという意味です。

 福島県には僕の住むいわき市に250席くらいの劇場ができます。

 今年の2月、「チ-ムスマイル」の代表である矢内廣さんといわき市の喫茶店でお会いして、協力をお願いされました。

 矢内さんはチケットぴあの社長さんで、僕が住む久之浜町の隣町、四倉の出身です。

 このブログでもお馴染みの同級生のM君からの情報で、矢内さんとは磐城高校の同級生だということがわかりました。

 一昨年の青年座スタジオ公演「雷鳴」(作・梁石日/脚本・江原吉博)の時に招待状を出したら、来てくれて・・・

 としま未来文化財団のオペラ「君と見る夢」や「東の風が吹くとき」も観てくれました。

 いわき市に250席の劇場が建つ・・・その企画運営に協力していける・・・

 しかも劇場のコンセプトが「舞台芸術による子供の心の復興」です。僕は今64歳、毎日わくわくした気持ちで生きています。

 いわきで演劇などの舞台芸術に関わっている人たちも新劇場には期待を寄せています。

 自分たちの舞台芸術が今の社会にお役にたてる、という使命感。

 そして・・・いわきの小さな舞台芸術集団は現在、公演の場を失いつつあります。

 いわき芸術文化交流館アリオスは大劇場・中劇場・小劇場等を持つ大きな施設です。

 この劇場ができる時、いわきの芸術団体は様々に協力しました。

 演劇に限って言えば、昔は美術館前にある文化センターも500席のいい劇場でした。

 しかし、アリオスができると文化センターは音楽や講演などしかできない劇場に作り替えられてしまった。

 もう演劇はアリオスでしか公演できません。それなのに、アリオスからも締め出されようとしています。

 そもそも文化行政とはなんでしょうか?

 250名ほどの小劇場があったとします。その劇場使用日が劇団とカラオケ大会で重なったとします。

 この2つの団体がくじ引きをして決める・・・これは市民の劇場なのですから確かに公平でしょう。

 しかし、文化行政という点から見ればどうでしょうか?

 さらに、いわき市は14市町村が合併した広大な市です。

 市民会館も各市にあり、平市民会館・常磐市民会館・勿来市民会館・小名浜市民会館と4つもありました。

 だが、平市民会館が老朽化でいわき芸術文化交流館アリオスとして立て替えられると、市の主催公演はアリオスだけとなり、他の団体の劇場使用もアリオスに集中していったのです。

 僕がいわきに転居して1年半、その現実がどんなに過酷なものか見せつけられました。

 アリオス以外の3館はほとんど使われていない状態なのです。

 いわゆる、郊外型の大規模施設ができて、昔からの商店は忘れられていく・・・あの図式です。

 でも、他の会館の周辺にもたくさんの市民が生活しています。特に車などの移動手段を持たないお年寄りは会館での催しを楽しみにしています。

 僕は、その方々に舞台を観たいならアリオスに来なさい、と言っているようにしか思えないのです。

 「劇場を公平に貸している」と言うなら、その前に文化行政は「市民に平等に文化を提供している」と言えるのでしょうか?

 ふたつ目は・・・結婚しました。
  
 
 
2014年5月7日(水)
  リアンの受難      0.145μSv/h      



 リアンの去勢手術が無事行われた、チーン!

 などと茶化している場合ではない。本人にとってみればどんなに恐ろしかったか。

 実際、家に帰って来た時の様子を見ると良く分かる。鳴くは甘えるは・・・

 いままでも大の甘えん坊だったが、もっともっと甘えん坊になった。

 困るのは、本を読んでいると机に載ってきて、僕の目の前に立ち、前足で何かの合図をすること。

 ああ、そうか・・・と気付いて床に胡坐をかいてみた。

 すると、わが意を得たとばかりに両足の間に体を静めた。

 で、これを1日に何回もやる。

 さらにどこに行くのにもついて来る。

 トイレに入ると、どこに行ったかと鳴きながら探し回り、挙句の果てに扉の前で出るまで待つ。

 どこぞのスナックではあるまいし、オシボリを持って待ちはしないが・・・

 ま、それだけ恐ろしかったと僕に訴えているようで、手術を受けさせた僕としては責められているようで心苦しい。

 

 現在のリアン君の写真・・・

 色合いこそ違うが、顔の形や目鼻の感じは天ちゃんに似ている。やはり、天ちゃんの血を受け継ぐ甥っ子だ。

 時々、「天ちゃん!」と呼んでしまうこともある。

 その度に心が痛む・・・

 

 上のは天ちゃんの写真・・・
  
 
 
2014年5月1日(木)
  夜ノ森の桜 その3     0.144μSv/h      



 4月14日、福島第一原子力発電所から8キロほど離れた富岡町夜ノ森の桜を観に行ってきた。

 16名を乗せた2台のワゴン車は桜並木の出発点に止まった。

 一直線の道、富岡町のメインストリート。

 青空にピンクの霞がかかったようにずっと続いている。

 僕たちは恐る恐る道に降り立った。

 意外にも放射線量は0.2μ㏜を行ったり来たり。

 あまり高くない!

 上記の、大きい文字の放射線量は僕の家の食堂の数値だ。

 それに比べてみるとよくわかる。

 避難区域なのにどうして低いのか・・・すぐに分かった。

 道と両脇の歩道がきれいに除染されている。桜の根っこの土のある部分も除染されて真新しい山砂がかかっている。

 しかし、道から外れると測定機が鳴り始める。

 その道の両側には、閑静な住宅とお洒落な商店が並んでいるのだが・・・

 良く見ると・・・無残に朽ちている。いや、朽ち続けている。

 ひどいと思うのは車だ。

 一家に一台、乗用車が駐車してある。あの日、持ち出せずに放置された車だ。

 今すぐに走り出しそうな車・・・ベンツも軽トラックも・・・

 桜並木の中央には道を切断するかのように柵が設置されていた。

 柵から向こうは立ち入り禁止区域だ。勿論、柵の向こうに見える車もあの日のままだ。

 

  
 
 
2014年4月27日(日)
  夜ノ森の桜 その2     0.145μSv/h      



 14日、福島第一原子力発電所から8キロほど離れた富岡町夜ノ森の桜を観に行ってきた。

 津波で破壊された富岡駅から国道6号を越えて、僕たちを乗せた車は真言宗智山派紅葉山の宝泉寺に向かった。

 道は田圃を縫って進む・・・あれ?

 田圃がきれいになっている。避難区域で無人の飯舘村の畑は雑草がボウボウだった。

 ところが富岡ではきれいに刈り取られて、耕せばすぐにでも米作ができそうだ。

 おそらくこれは避難準備区域だから、住民が帰って来た時の準備をしているのだろう。

 途中、同乗しているWさんの農家の脇を走った。

 見てゆきますか、と言われたが・・・中はネズミに荒らされてひどい状態とのことだ。

 さすがにそれはやめた、あまりにも辛い。

 法泉寺は桜が満開だった。特に目を引くのは樹齢800年という紅枝垂れ桜。その下には黄色の水仙がたくさん咲いている。

 ところが、車を止めた瞬間、1時間の線量が上がった。

 1.0μ㏜から2.0μ㏜へ。東京池袋の芸術劇場前広場で去年測ったときは0.06μ㏜だから30倍近いだろう。

 外に出るとさらに上がる、2.5μ㏜から・・・

 紅枝垂れ桜は大きい。その下をくぐった僕たちは花を愛でる余裕もなく車内に戻った。

 これが帰還準備区域の現実なのだ。

 福島県放射能測定マップに最近の放射線量が載っていた。

 富岡駅で現在、0.386μ㏜。

 こんなに値が低いのは駅近辺を除染しているからだ。

 

 津波に駅舎を流された富岡駅。手前に駅舎があった。

 ホームの向こうに水平線が見える。
 
 
 
2014年4月18日(金)
  夜ノ森の桜 その1      0.147μSv/h      



 14日、福島第一原子力発電所から8キロほど離れた富岡町夜ノ森の桜を観に行ってきた。

 浜通りで桜が満開になるこの時期、原発事故の象徴のように報道される夜ノ森の桜だ。

 町の大通りを何キロにも渡って桜並木が続いている。

 浜通りでは昔からの桜の名所だ。

 その桜が原発事故の象徴になってしまったのは、町が帰還困難区域となり、町から住民の姿が消えてしまった。

 春が来るたびに、無人の町に狂おしく咲き続ける桜、見せる人もいない朽ちた町並みに爛漫と桜が咲く光景。

 それが、いつしか原発事故の象徴になってしまった。

 午前11時半、東京から参加した3名と地元の演劇関係者13名が合流して、3台の車でいわき駅を出発。

 いわき駅で放射線量を測定すると、1時間の放射線量が0.12μ㏜。

 駅から国道6号線に入って北上する。

 四倉町に入って海が見えると、町の両側に空き地が多くなる。

 空き地はそれとなく整備されているから、津波に流された家の跡には見えない。

 3台の車列は久之浜、末続、広野、と過ぎて富岡の町に入った。

 今までの町は壊れた家も解体され、人が住んでいる。

 だが、富岡は避難解除準備区域でまだ無人の町だ。それどころか、震災の日から時間が止まっている。

 地震で倒壊した家、傾いた家、室内が滅茶苦茶の家。つまり、あの日から朽ちるにまかせた町並みがあった。

 商店街を抜けると突然、駅前広場に出た。

 駅舎があった所に家はない。ぐしゃりと曲がった鉄骨が空に立っている。

 駅の向こうに見える春の海・・・あそこから巨大な津波が押し寄せて駅舎を押し流し、駅前広場の食堂、ホテルなどの家の一階をえぐってしまった。

 広場にはモニタリングポストが設置されている。

 津波が町を襲い、放射能が町民を追いやり、無人の朽ち果てた町にしてしまった。

 僕たちを含めて、広場にいた人々は声もなくこの現実を受け入れなければならなかった。

 もし、ここが故郷で、長年ここに住んでいたら、どんな思いでこの光景を見詰めるのだろう・・・
 
 
 
2014年4月11日(金)
  桜咲く      0.147μSv/h      



 8日、いわき地方でも桜が咲き始めた。

 最近、体重が増えてきたので、これは歩かなければと思い、遠出をした。

 遠出と言っても、今まで町中を一回りしていたのを、山の方まで行ってみることにした。

 快晴、とても暖かい。ウオーキングには絶好の日和だ。

 国道6号線に出て、小久川の橋を渡る。短い橋だが国道をひっきりなしに車が通る。

 ほとんどがJビレッジに向かう車だ。そこで防護服に着替え、原発へ向かう。原発作業員の車だ。そして除染作業員の車。

 橋上から川を覗き込むと、浅瀬で30センチはあるかと思われるウグイがバシャバシャやっている。

 腹に一筋、オレンジの線があるのは婚姻色なのか?

 昔の僕なら、早速竿を持ち出して、釣りをするのだが・・・

 その気力も出ない。5月になると小鮎がわいてきて、それをアミを餌にして釣る。

 今年は鮎釣りをしてみよう、そして小鮎をかき揚げにして食ってみようと思っていた。

 でも先日、川魚の放射能値を見てがっかり・・・

 川魚はまだ食べる気にはなれない。

 国道をそれて山の方に向かう。遠くの山の中腹にお寺さんの屋根が見え、そこの桜が満開だ。

 参道入り口に向かう途中、突然多数の簡易宿舎が出現した。

 入り口には守衛所がある。普通、作業員の簡易宿舎の入り口に守衛所はない。

 さらに会社名もない。

 友人のM君の話によると、大企業の原発作業員宿舎らしい。

 昔、この辺りには山一サンドという会社があって、山砂を洗って出荷していた。

 しかし、倒産したのだろう。朽ち果てた工場跡と山のようになった砂利の土くれがひろがる荒野だった。

 その周辺は田圃だったのだが・・今は放置され、雑草だらけの荒地なってしまった。

 中腹のお寺さんの石段を上る。正面に本堂、左手には鐘楼、それを覆うかのように2本の桜が大きく枝を開いている。

 ここだけが昔と同じだ。

 ベンチに腰かけて頭上の桜を見る。穏やかな、ほっとした気持ちになるのは何故だろう。

 結局、1時間半、上ったり下ったり、たっぷり歩き回った。

 帰ったら、膝がガクガクしていた。情けない・・・
 
 
 
2014年3月26日(水)
  眼鏡受難!      0.161μSv/h      



 15日、外出しようとして外に出、眼鏡を拭こうとしたら、足元でパリンと音。

 手元の眼鏡を見たら、なんと金属の縁がポキリ。で、レンズがポロリ、道路でパリン。

 遠近両用眼鏡が!

 3年前に新調したのに・・・

 でも、電車の時間が迫っているっ、電車は1時間に1本ンっ、乗り遅れたら大変だっ。

 慌てて家に戻って遠目の眼鏡を取り出して外出。

 いわきの中心地に行ったついでに眼鏡屋に入った。

 高いんだ、僕の眼鏡・・・強度の近視、+乱視、+遠近両用・・・

 それでも作らなければ生活に困るっ!

 ま、出来る間は遠目と近目の2つの眼鏡を使用しよう。

 近目とは読書用の眼鏡です。

 ところが・・・2日後、その読書用が・・・鼻弦が・・・切れたっ!

 手元に残ったのは遠目用の眼鏡、本は読めません、ブログも書けません。

 眼鏡がないと仕事も生活もお手上げです。特に読書できないのがこたえる・・・

 無理して読んでみたが、目が痛くなるばかりっ!

 昨日の25日、やっと遠近両用眼鏡ができた。

 本も読める、ブログも書ける。
 
 この1週間、何をしていたのかさっぱり覚えていない。

  

 「日向ぼっこはやはり果物カゴだぜ」
 
 
 
   
2014年3月17日(月)
  春めいて        0.163μSv/h      



 昨日の日曜日は暖かかった。

 このまま暖かならいいけど、三寒四温、まだまだ春は遠いんだろうなあ。

 それでも、そこここに春の兆しが見える。

 庭の紅梅は満開。紅梅の植わっている場所は暖かいのだろう、門の近くの白梅より開花が早い。
 
 2本ある椿も徐々に咲き始めた。

 いつもの土手に行けばフキノトウも顔を出しているんだろう。でも、食べられないから採りにはいけない。

 だから、農協の直売所でフキノトウ味噌を買ってきた。これはビニールハウス栽培で、線量を測っているから安全だ。

 リアン君も春めいてきた。

 一言で性格を言えば・・・甘えん坊、きかん坊、びびりん坊。

 ちよっと席を立った空きに、その席を奪ってしまうことがよくある。

 先日は、深夜トイレに立った空きに布団を奪われた。

 いつもは布団の横端から顔や背中を見せて寝ている。

 で、トイレから戻ったら、布団の中央から顔を出して、頭を枕に押し付けて狸寝入り。

 僕が呆然として見下ろしていたら、ふいっと顔を上げて、「あれ、どうしたの?なんか不都合なことある?」と見上げた。

 まったく・・・

 その時の1枚。

   
 「文句ある?」
 
 
 
2014年3月14日(金)
  祈りの集い      0.149μSv/h      



 8日土曜日、「祈りの集い」に参加してきた。

 祈りと言っても宗教的なものではない。

 夜明け前の5時ころに、いわき市の新舞子海岸に集まって、東日本大震災の犠牲者に祈りを捧げる。

 と同時に、これからの復興を祈る。そういった集いだ。

 主催者は元朝日ジャーナルの編集長・下村満子さん。

 4時、友人の同級生M君の車で隣町の新舞子海岸に向かった。

 この海岸はなだらかに湾曲した松林と砂浜が数十キロも続いている。

 たくさんの誘導員の指示で駐車場に到着。

 海の近くだけあってさすがに寒い。

 震えながら集合場所に行くと、三々五々参加者が集まってくる。

 市内だけではない、関西や札幌ナンバーの車もある。

 たくさんの人々が黙々と海岸目指して集まってくる。

 何百人もの人たちだ。

 海の方を見ると、穏やかにたゆたっている。水平線の上にちょっとだけ雲があるが、青空が広がりそうだ。

 主催者の挨拶があり、その後参加者は海岸に出て一列に並び、両手を繋ぎ合った。

 そして、日の出を待った。

 水平線上の雲の上部がオレンジ色に染まる。

 その温かな色合いが大きくなって燃えるような朝日が昇った。

 全員が心を合わせて祈る、鎮魂と復興を・・・

 ただ、それだけのイベントだが、こんなにも多くの方々が同じ思いを共有している、そして祈っている、そのことに感動した。

 解散後、波打ち際に行った。あの時に流された車が埋まっていた。

 
 
 
 
2014年2月26日(水)
  春の槌音?          0.167μSv/h      



 いよいよ3月、久之浜に転居してから丸々1年になる。

 辛うじて震災の火災から残った町の一角、ここにも激しい槌音が響いてきた。

 火災で土台だけになった町も、その土台が撤去されて粉砕され、昔の堤防近くに山となって積み上げられている。

 僕の家がある一帯は、数軒の家が土台だけになっている。

 その敷地に大きな重機が入り、コンクリートの土台を掘り返し、砕き、運び出している。

 僕のようにまだ住んでいる近所の家も、原発事故から避難して戻らない家も、あと1年くらいで取り壊される運命だ。

 11年3月11日、午後2時46分に発生した東日本大震災と、その後の原発事故。

 この町の形を、そこに住む家族の運命を、劇的に変えてしまった。

 もう一度、町としての体裁を整え、新しい人間関係を築きあげるのに何年かかるのだろう。

 そして、どのような町になるのだろう。

 以前のような人間関係の厚い田舎町か、東京のように人間関係の希薄な町か・・・

 三丁目の夕日・・・

 人間関係の厚い昭和30年代の映画があった。

 そのゴジラ版が You Cubeで流れている。

 地震のような揺れの中を自動車修理工場の家から逃げる家族。

 外に出ると、避難する人々がいて、背景では30年代の古めかしい町並みが壊されてゆく。

 画面が変わって、映画の冒頭シーンにあった大通り。その向こうからオート三輪が走って来る。

 大通りは避難する人々が、壊れてゆく町並みが・・・それを縫うようにオート三輪が近づく。

 車から降りる中年男。そこに逃げ出した家族が合流すると、背景にあった東京タワーが光線で真っ二つに!

 男の足元にはひしゃげた「鈴木オート」の看板が。

 この家族は映画「三丁目の夕日」の登場人物たちだ。

 男の視線の先にはゴジラの姿がある。

 怒髪天を衝く男は叫ぶ。

 「野郎、よくも俺の鈴木オートを壊しやがったな」

 いやあ、笑った。腹抱えて、笑った。

  You CubeでGODZILLAの予告編を探して、これを見つけました。

 昭和30年代の2つの映画をくっつけたパロディ版。

 笑えるぜ!
  
 
 
 
2014年2月13日(木)
  雪!          0.153μSv/h      



 2日にブログを書いてからもう10日も過ぎてしまった。

 その間、何をしてた?思い出せないほど大したことはしていない。

 ただ、びっくりした事が2つ。

 1つめは、8月のいわき演劇プロジェクトが主催する「高校演劇秀作戯曲公演」の劇場おさえ。

 いわき芸術文化交流館アリオスの小劇場を8月の1か2週目の金・土・日曜に借りようと思った。

 ところが、ブラスバンドの大会で全館使用のため借りることができず、3週目の金土日を申し込んだ。

 でも、申し込んだのは僕たちだけではなかった。

 競合相手はいわき総合高校。選択科目で演劇を選択した高校生たちの卒業公演を行いたいという。

 僕たち、譲りました、小劇場。小劇場での卒業公演を奪ったら可哀そうだし、大人げない。

 それで換わりに、総合高校の小劇場を貸してもらった。

 ま、なんとかなったということです。ところが・・・

 わかったことがある!!!

 そのブラスバンドの大会で、なぜ全館貸切になっているのか。

 大会は大劇場で公演する。全館貸切になっているのは、他の中劇場・小劇場・その他の場所で各校が練習するのだな、と思っていた。

 ところが、貸し出しの担当者の話では、その他の場所は楽器を置くためだけに使っているというのだ。

 中劇場や小劇場で公演したい団体がいるのに、中劇場や小劇場を楽器置き場に使っているのかい!

 恐るべし、アリオス。

 劇場は芸術を発信する神聖な場所です。それを楽器置き場にする・・・

 劇場と物置は同じ空間と考える、これは芸術を支える人間の発想ではない、田舎役人の発想だ。

 あきれた・・・

 天もあきれ果てたのか、土日曜日とすごい雪。

 いわき地方は福島県内にあるが、会津や福島等の中通りと違って、雪の降るときは滅多にない。

 東京よりも降らない。

 ところが20センチ以上も積もった。

 僕の家は大通りから脇道に入った所にある。脇道を挟んで9軒の家が並んでいる。

 そのうちの2軒は大震災の津波で壊れ、2軒は現在人が住んでいない。

 昼ごろから僕も含め4軒の家族6人で脇道の雪かきをした。

 若者はいません、50歳越えたおじちゃんおばちゃんばかり。

 しかも、雪かきの道具もまともな奴は2つ。

 あとはカッサといって雑草取りの道具。

 2時間半かかった。

 初めての雪かき。こんなに大変だとは思わなかった。

 次の日、体中が痛むかなと思ったけれど、全然痛まなかった。

 汗だくになるほど体を動かしたのに・・・

 ま、まだまだ若いということですか・・・

  「へっ・・・」

  
 
 
 
2014年2月 2日(日)
  落下!墜落!転落!       0.145μSv/h      



 午後、食堂のテーブルでまったりしていたら、突然隣の居間からすごい音が!

 慌てて居間に行こうとしたら、リアンが入って来た。

 何かあったな、いや、したなと思って床に目がいった。

 爪らしきものが落ちている、周囲には木屑が・・・

 その上の天井を見たら、吹き抜けからぶら下がっている照明が揺れている。

 梁から落ちた!

 慌ててリアンを抱き上げ、骨が折れてないか、ひどく体を打ってないか、あちこち触ってみる。

 骨は大丈夫、腹を押したり、背中を押したり、それでも痛がらず鳴きもせず、平気にしているから打ち身もなさそうだ。

 まあ、一安心・・・

 爪が2枚落ちていたが、猫の爪は脱皮するから、爪の抜けた指には細い爪が現れている。

 で、何で落ちたか、検証してみた。

 まず、階段から吹き抜けに走っている梁に飛び移る。

 梁を歩いてゆくと、梁から天井を支える材木が立ち上がっている。
 
 そこを廻り込もうとして落ちたのだ。

 落ちた所には爪痕が深くついているから、一瞬ぶら下がったのだろう。

 梁から床まで3メートルはある!よくもまあ怪我せずに落ちたものだ。

 天ちゃんの時はこんなに早く梁に興味を示さなかった。

 リアンは早熟で運動能力に優れているから注意、注意。

 天ちゃんの時のように階段から飛び移らないように、梁隠しの布を張らなければ。

  「高所はまかせとき」
  
 
 
 
2014年2月 1日(土)
  劇場演出空間技術協会2       0.162μSv/h      



 先週から今週にかけてなかなかハードなスケジュールをこなした。

 1月23日はいわき演劇鑑賞会の例会。

 劇団NLTの公演「OH!MY パパ」を観た。

 う~ん、NLTだね、やっぱり。

 というのは、僕のイメージから1歩も違わない。

 2幕目から会場は爆笑の渦。ま、それはそうだ、そうなるように作家が計算し尽して、軽妙に逆転させているのだから。

 笑わせるツボで笑わせられなかったらプロじゃない。

 でも・・・と余計なことを考えてしまうのが悪い所?

 しょうがないね、そういう性分だし、プロだし。

 でも、これでいわき民報に書く演劇時評のネタができた。

 そんな不届きな考えが風邪を呼び込んだのかも。

 その夜から妙に寝つきが悪い。いつもはバタンキューなのに、体が妙に熱いせいか頻繁に目が覚める。

 測っても熱はない。でも、これが僕の風邪の特徴。

 すぐに薬を飲んだが、さらに僕の風邪の特徴が現れた。

 喉がいがらっぽい。それでも無理して25日の懇親会に出席。

 こんな風邪、なんだ風邪・・・このくらいの風邪で飲み会は休みません。それに昨年から続けている<名作を読む会>の親睦です。

 しかし、ますます調子は下り坂。それでも劇場演出空間技術協会の講演原稿は書かなければ・・・

 26・27・28日と寝たり起きたりしながら講演原稿を書く。

 ま、このあたり何をしていたのか、あまり覚えておりません。

 それでも風邪と、かまって攻撃のリアン君と、戦っておりました。
 
 そして、29日の劇場演出空間技術協会の講演日・・・
  
 
 
 
2014年1月31日(金)
  劇場演出空間技術協会1       0.162μSv/h      



 先週から今週にかけてなかなかハードなスケジュールをこなした。

 21日は東京に日帰り。それも、まだ夜も明けない、おお寒の中、始発電車で上京。

 到着後、すぐに池袋に直行。としま未来文化財団の会議室で来年度のワークショップの打ち合わせ。

 その席で、理事さんから「何か書いていますか」と聞かれ、はいと答えたら、「来年、東京でやりませんか」とお誘い。

 ありがたい、感謝です!

 ただ、去年「東の風が吹くとき」をいわき演劇の会主催で公演したから、1年の短い間で来年また東京公演ができるか。

 僕は大丈夫だが、演劇の会は大丈夫か・・・

 そこのところが不安材料だ。

 でも、1年あいても忘れられるのに、2年空いたら、東京公演してくれなんて声はもうかからないだろう。

 さっそく、いわき演劇プロジェクトのT君に電話した。

 会議後は川崎の自宅へ。郵便物などを取り、空気を入れ替える。

 やはり人の住んでいない家は寒々しい。

 夕方からは評論家のEさんとS君と渋谷で飲み会。

 その時、梁石日さんの小説「血と骨」の話になった。そろそろこれも手をつけたい。

 公演時期としては再来年ぐらいだろう。

 脚色の構想を色々と話し合って、僕は7時に渋谷を出る。

 8時の特急ひたちに乗らないと、最終の久之浜行に間に合わない。
 10時40分頃に自宅着。

 着いた途端、リアン君のご飯コール。

 待っていてくれる、しかも切実に腹ペコで、嬉しい限りです。

 でも、始発出、最終帰宅は疲れます。

 そろそろ、29日の劇場演出空間技術協会の講演の準備も始めなければ・・・

 と思いつつバタンキュウー。
   
 
 
 
2014年1月18日(土)
  道の駅で その2       0.158μSv/h      



 3連休の最終日、同級生のM君とドライブして、隣町の四倉道の駅に行った。

 で、2人でカウンターから海鮮丼を持ってテーブルに戻ったら・・・

 なんと隣の席に中学校時代の恩師が!

 これまた昼食を待っていた。M・E先生ご夫妻だ。

 頭髪が真っ白になられたので僕は全然わからなかったが、M君が発見、双方あまりにも意外な出会いだったので仰天した。

 先生のお話では、これからご自宅のある富岡町に行って除染の相談をするという。

 結構放射線量が高いので先生ご本人は「帰らないつもりだ」とおっしゃっていたが・・・

 どうして国も県も避難区域を解除して帰町・帰村させたいのだろう。線量が高い場所は除染してもまた高くなるのに・・・

 50年余り前、僕らが住んでいた久之浜は福島県双葉郡に属していた。

 だから、通っていた中学校も双葉郡久之浜町立久之浜中学校だった。

 14市町村が大合併していわき市が発足したのが1966年。

 久之浜町は双葉郡からいわき市に吸収され、いわき市立久之浜中学校となった。

 でも、僕が通っていたときはまだ双葉郡に属していた。

 その後、1966年には双葉郡双葉町と大熊町をまたぐ地所で福島第1原子力発電所の建設が始まった。

 1970年9月原子炉核加熱試験運転開始、営業運転が始まったのは1971年3月である。

 当時、中学校の先生方は双葉郡の町村に住み、汽車で久之浜に通っていた。

 だから、原発事故ではほとんどの先生が避難を余儀なくされた。

 M・E先生のお話によると、恩師のほとんどの方がいわき市に避難して住んでおられるらしい。

 高齢の先生方がどんな思いで逃げ惑い、実家を離れて慣れない地で過ごしておられるのか・・・

 食事を終え、お互い再会を約束して別れた。

 どうぞお元気でお過ごしください。
   
 
 
 
2014年1月14日(火)
  道の駅で その1       0.145μSv/h      



 3連休の最終日、隠居の身には連休も関係ないな、と寝床にいたら突然携帯が鳴った。

 久之浜町内に住む同級生のM君からだ。

 これから出かけようというお誘い。乗った!

 で、M君の車を待っていたら突然の停電。慌てた・・・

 東京で停電なんてほとんどない。それが・・・テレビも何もかもが停止した。

 前の家の奥さんが後ろの家に走って行く。僕も走る、後ろの家に。

 尋ねることは一緒、停電してますか?

 この一画の停電らしい。

 戻ったらM君が来た。M君の話によると最近ちょくちょく停電するらしい。

 町中で工事をしているためか、どこか津波の入った家が漏電しているのか、それはわからない。

 通電を待ってもいつになるか分からないので、そのままにしてM君の車で山の方に向かう。

 アンモナイト・センターでM君の用事を済ませ、近くの陶芸家のお宅へ。

 古い民家の土間でお茶をご馳走になる。土間から続く居間には大きな囲炉裏があってマキが燃えている。

 その周りには作品が並んでいる。ここはギャラリー、展示販売所といったところだろうか。

 ここの陶器は武骨な作りだが、素朴で、とても温かな感じで、僕は好きだ。

 陶芸家さんも、あの日、放射能に追われて関東の方に逃げたという。

 それから町内にアトリエを構えていた木彫家さんの話になった。その方のアトリエ兼住居は津波で流失、一家は関西に避難したという。

 あの震災と放射能は久之浜町内に居住する芸術家の方々を逃散させてしまった。

 震災前は、町内の芸術家の皆さんが集まって、町の公民館で展示会をし、それを町民が支えていただけに残念だ。

 陶芸家のお宅を辞して海の方に向かった。

 目的地は海岸近くの四倉道の駅。そこで早めの昼食を摂ろうと言うのだ。

 福島県中通り、つまり海のない所、川俣の道の駅レストランでは川俣軍鶏の肉を使った料理が美味しい。

 福島県浜通り、やはり海岸近くの道の駅レストランでのおすすめは海鮮丼でしょう。

 大窓からは海岸と隣接する港が見える。

 あの日、原発事故の前は、海鮮丼の具はほとんど隣接する港に水揚げされたものだった。

 でも、今の魚は全部が他県から来たものです。

 それでも道の駅に来ると海鮮丼を注文してしまう、海岸沿いというだけで。

 海が見えて、港が見えて、もうそれだけで、そこで獲れたてのお魚が入っている、と思ってしまう。

 残念でした・・・あの原発事故から<常磐もの>と高値がついたお魚は食べられません。

 で、2人でカウンターから海鮮丼を持ってテーブルに戻ったら・・・

   
 
 
 
2014年1月11日(土)
  フードコート       0.177μSv/h      



 ジーンズを買うために3駅離れた平に行ってきた。

 いわき駅から歩いて20分くらいの所にイオンがある。東京みたいに専門店はない、大規模施設にメーカーがしょんぼり肩を並べている。

 どうしてそこを選んだのか・・・

 無性にインド料理が、といってもカレーとナンだが、食べたくなったのだ。

 カレーとナンも1年以上食べていない。

 ちなみに1番行ってないのは焼肉屋だろう。5年以上は行っていない。

 カレーとナンもタマプラーザのアクバルで食したきりだ。

 で、紳士服売り場から直行。

 午前中ということもあってか、だだっ広いフードコートには昼食をとる客がちらほら。

 テーブルとイス席を囲むように、アイスクリーム屋、ハンバーガー屋、洋食屋、麺類どんぶり屋、インド料理屋、タコ焼き屋が並ぶ。

 反対側には和風・洋風・大食堂の3つのレストラン。

 ランチのマトンカレーにナン、サラダとチャイ付きを注文する。

 ランチが来る間にフードコートを観察。

 やはり売れ筋は麺類どんぶり屋。その店前のテーブル席には結構客がいるが、他の店舗は5本の指で足りる。

 まだ昼にもならない時刻、さらに今日はすごく寒い。

 そう考えれば、皆さん、お家で、ありもので済ませようという気にもなる。

 来ている人は、単身か、僕のようなお年寄り、それと買い物のおばさん。

 幼児とお母さん、幼児とお母さんとお姑さん、幼児と若い夫婦。

 ランチが来た。僕だけかなと周囲を見回すと、幼児とお母さんだけの1組がカレーに挑戦。

 幼児には向かないんじゃないの?と思ったが、2種類のカレーにチキン2種類のセットを見ると・・・

 お母さん、あんたが無性に食べたかったのね、食べんさい、食べんさい、食べてストレス発散させんさい、と言いたくなった。

 1年以上ぶりのマトンカレーにナン・・・

 うまかった!

 カレーにナンを浸しただけでうまかった!

 1年以上も食べないと感激もひとしおです。

 で、寒風の中を20分歩いて駅へ
 
 その間にどこにカレーの味覚が入ったのかわからなくなった。

 で、気付いた、あれは幼児も成人も老人も食べられるカレーだったんだ。

 万人に愛されるマイルドなマイルドな、マイルド過ぎて香辛料の癖もないカレーだったんだ・・・

 だから、あのお母さんも平気で幼児にカレーを食べさせていたんだ。

 恐るべし、フードコートのインド料理屋。
     
 
 
 
2014年1月9日(木)
  あっという間に       0.168μSv/h      



 「明けおめ!」と言った途端、もう1週間が過ぎてしまった。

 その間に何をしてたか・・・記憶が確かではない。

 それだけ漠然と日常生活を送ってきた、ということか。

 寒くて寒くて、ほとんど外出していない。遊び相手はリアン君だけ。

 ワイルドだぜぇ~

 棒から出ている糸の先にネズミが付いている玩具。普通は棒でネズミを動かして、それに猫がじゃれるのだが・・・

 リアン君の場合、棒ごとネズミを部屋の隅に投げて、それをリアン君がくわえて持ってくる。

 自分の体長より長い棒を引きずって一目散に走って来る姿はまるで犬。ワイルドだぜぇ~。

 それとだいぶ本を読んだ。

 今、戦後短編小説再発見という講談社の文庫を読んでいるが、これがなかなか面白い。

 一冊毎にテーマがある。たとえば「青春の光と影」「歴史の証言」「表現の冒険」「笑いの源泉」と言ったように。

 今年中に書き上げる新作、去年の「東の風が吹くとき」の第2弾を書こうとしているのだが・・・

 すごく刺激になり、ためになる。

 そういえばスティーブン・キングの新作「アンダー・ザ・ドーム」。

 本を読む前にTVでやっていたので、先にそれを観てしまった。本が出てるなんて知らなかった。

 キングのフアンとしては失格だ。

 で、そのTVだが、途中で終わってしまった。シ-ズン2があるんかい!

 「アンダー・ザ・ドーム」の文庫は4冊出てるから、文庫ではきっと完結しているに違いない。

 そう思って今度は文庫に乗り換えようとしているのだが・・・

 まだ決心がつかない。

 あ~あ、TV観ないで本読めばよかった。

 4日にはM君が来て、2人でくっちゃべりながらワインを飲んだ。

 毎年正月には町内の同級生が集まって飲んでたのに・・・

 家屋が流されたため、町内の同級生は、飲み仲間は、いなくなってしまった。

 M君の家は丘の中腹にあったために難を逃れた。

 2人で飲みながら、同級生の消息とこの町の未来をくっちゃべった。
 
 結論・・・出るはずもない!
     
 
 
 
2014年1月1日(水)
  明けましておめでとう       0.131μSv/h      



 2014年元旦の朝が開けた。

 相当前から海岸へ初日の出を拝みに行っていない。

 海岸までは歩いて5分もないのに、日の出には起きているのに・・・

 家を出る気になれないのはすごく寒いから。本当に寒い!

 だから、家の中から初日の出を拝むというものぐさなことになる。

 今年は快晴、お隣の屋根からお天道様が恭しく顔を上げた。

 それから一人分のお雑煮を作る。

 この辺りはだし汁に少々醤油を落とした具沢山のお雑煮だ。

 大根・サトイモ・レンコン・にんじんなどが銀杏切にされて入っている。勿論、鶏肉も刻んだ油揚げも入っている。

 おもちは昨年30日に僕がついたもの。市販の餅よりは大振りで美味しい。

 それを2個入れた。

 リアン君には、カリカリの上にカツオをほぐしたもの。

 一緒にご馳走を食べる。勿論、お酒は・・・飲みません。

 いつ頃からか、クリスマス頃に帰省して年末を久之浜で過ごし、元旦には東京に帰る。

 そんな正月を過ごしてきた。だから、元旦の朝は酒を飲んでない。

 夕方は飲みますよう・・・いつものように。

 昼過ぎ、温かいので町内の神社3か所に初詣に行った。

 2か所は津波で流された町内にあって、現在周辺は土台だけの町が広がっている。

 もう1か所は鳥居も本殿も昔のままだ。でも、お参りする人影はない。

 震災前は元旦の昼過ぎでも人出があって、行くと必ず同級生や知り合いに会えたのに・・・

 1つの町が消滅してしまって、みんな2駅も3駅も離れた仮設住宅に入っているから、それもしょうがない。

 いったい、いつになったらこの町にも賑わいが戻るのだろう。

  「リアンです、よろしくな」
    
 
 
 
   
 
Pagetop